重い気分

 4日(月)の夜、「公開シンポジウム・おかしいぞ!警察・検察・裁判所Ⅱ」にパネラーの1人として出演した。主催元で、新聞労連の活動でもお世話になっている篠田博之さんからの依頼だった。2日経ったが、今も少々、重い気分を引きずっている。
 シンポの第1部は、自衛隊官舎へのビラまきで逮捕された「立川テント村」メンバーら、公安警察の狙い撃ち捜査で逮捕された方々の報告、第2部がわたしも参加したパネルディスカッションで、テーマはこうした不当捜査や捜査機関の不正を、なぜメディアが追及できないか、だった。パネラーはほかに「週刊金曜日」の北村肇さん、「人権と報道・連絡会」の山口正紀さん、北海道警の裏金追及報道で知られる北海道新聞・前道警キャップの佐藤一さんら。
 わたしの役どころは、動こうとしない大手メディアの代表、というところか。紹介された肩書きは「共同通信社会部記者で新聞労連委員長」だった。「キレイごとばかりじゃ済まない」と分かってはいたが、他のパネラーがポンポンと発言する中で、わたしの歯切れの悪さは目立ったに違いない。
 まず各パネラーが問題提起として10分ずつ発言。わたしは①今は新聞社が「普通の会社」になりつつあり、経営姿勢が利益追求のみで、組織の中にジャーナリズムの議論がなくなっている②現場でも「何を書くべきか」「何を書いていないか」といった議論がなく、習い性のように従来型の報道が繰り返されている③その結果、多忙さもあいまって、個人として問題意識を持っている記者がますます声を上げにくくなっている-と話し、「それでも、わたし自身、職場ではデスクのひとりだが、現場から上がってきた原稿をボツにするまでは堕落していない。警察におもねって取材・報道をボツにしているわけではない。不正を事実としてつかんだなら、出稿、報道する。ただ、その取材の第一歩が現場でなかなか始まらない」と話した。また、警察裏金問題で道新や高知新聞、愛媛新聞などが実績を上げているのは、現場主導の問題提起があったからであり、それができない在京の大手メディアと比べるなら、読者・市民と記者との間の距離感が大きな要因かもしれない、とのわたしなりの考えも述べた。
 しかし、こうしたわたしの発言は、やはり「大手メディアに身を置く人間の身勝手さ」としか受け取ってもらえなかったのかもしれない。会場には、警察の不正を内部告発した警察官や関係者、一水会の鈴木邦夫氏ら日常的に公安・捜査当局と緊張関係を持っている人たちもいて、順に発言していったのだが、いわゆる「ロス疑惑」の三浦和義氏からは「美浦さんは『メディアはそこまで堕落していない』と言われるが、わたしの事件が無罪で決着した後も、ただの一社も謝罪がない。わたしの事件は20年前に(報道が)始まったが、その後もメディアは冤罪づくりに加担し続けている。わたしはメディアに絶望している」との痛切な一言があった。
 そうなのだ。まったく、その通りなのだ。犯罪報道が以前に比べれば改善されたのは事実だ。だが、それはメディアの内部事情でしかない。市民から見れば、依然としてメディアは人権侵害を続けていることに変わりはない。だから、現状をどう変えていくのか、今何が必要なのか、ということも話したかった。
 しかし、パネルディスカッションの全体を通じて、議論はいかに大手メディアの記者がだらしないか、権力に弱いか、ということが中心だった。気分が重かった。最後に、山口正紀さんが、新聞労連の若手記者研修活動(山口さんには長年にわたって事務局を支援していただいている)を例に「それでも若い記者たちの中には、志を持ってがんばっている記者がいる。彼らを応援していきたい」と引き取ってくれたのが、慰めになった。
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by news-worker | 2005-07-06 09:32 | メディア  

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