JR事故と規制緩和

 共同通信の後輩の紹介で、国労西日本本部などが今月22日(金)に大阪で開くシンポジウムに出演する。4月に尼崎市のJR福知山線で起きた脱線事故を題材に、JRの安全を考える企画で、わたしに与えられたテーマは「規制緩和問題を考える」。パネラーはほかに「巨大技術と事故ならこの人」と言ってもいい柳田邦男さんら。「自分ごときが」と思わないではなかったが、何がしか、わたしなりに話せることもあるかと思って引き受けることにした。
 わたしが話そうと考えているのは、1990年代半ばに社会部で公正取引委員会を担当していた際の取材経験をもとにした規制緩和への疑問だ。規制緩和の本質は、規制を緩和・撤廃して新たなビジネスチャンスを作り、新規参入を促して競争状態を作り出すことにある。競争があれば企業努力が生まれ、商品やサービスの価格も下がって消費者利益につながる、という理屈だ。公取委担当の当時は、それこそ「猫も杓子も規制緩和」という雰囲気だった。公取委の役人から聞かされた分かりやすい例え話が「輸入牛肉と大手スーパー」。輸入牛肉は登場当初は独特のにおいがきつく、和牛に慣れた日本人には食べられたものではなかった。しかし、大手スーパーが競争の中で、米国の自社牧場で改良を重ねた結果、今ではすき焼きでもしゃぶしゃぶにしてもいいくらい、味が良くなった。大手スーパー同士の競争があったからこそ、という話だった。もちろん、BSEが問題になる前の話だったが。
 しかし、規制緩和全盛の時代の雰囲気の中でも、評論家内橋克人さん(「規制緩和という悪夢」)に代表されるように、警告はあった。特に公共部門で際限のない競争が始まると、安全が軽視され、結局は消費者(利用者)利益が損なわれるとの批判は、当時から根強くあった。問題は、批判はあったが国民的議論に高まることはなく、社会では少数意見としてかき消されたことだと思う。当時の大手メディアのジャーナリズムは、規制緩和でこんなに良くなった、という事例は大きく取り上げたけれども、規制緩和に批判的な意見には、相対的に冷淡なスタンスだった。
 競争は敗者を生む。企業倒産や失業、自殺者の増大も、ある意味では10年前から決まっていた必然的な流れだ。今の小泉政治では「構造改革」と呼んでいるけれども、この流れが続く限り、JR福知山線のような事故だってまた起こるだろう。JALのトラブル続きも、そうした流れの中で見ていけば、大きな状況がみえてくる。必要なのは「このままでいいのか」という広範な議論であり、そこでメディアが果たす役割は極めて大きい。シンポではそんなことを話そうかと考えている。
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by news-worker | 2005-07-18 10:30 | 社会経済  

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