長崎で考えさせられたこと

 広島に続き、8月7日から10日まで長崎に出張した。わたしが議長を務める日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)と、地元の長崎マスコミ共闘会議の共催で8日に反核フォーラムを開催。9日は長崎市内に残る原爆被害の跡を歩いてめぐった。
 フォーラムのテーマは「被爆60年・平和とメディアの役割」。入市被爆者で長崎平和運動センター被爆連・事務局長の奥村英二さん、長崎新聞論説委員の高橋信雄さん、メディア論の桂敬一・立正大学教授をパネラーに迎えたパネルディスカッションは密度が濃かった。なかでも高橋さんの指摘にはハッとさせられた。地元紙として曲がりなりにも被爆者の声を伝え、核廃絶を求める市民の声を代弁してきたが、これまで伝えきれなかったものも大きい、という。本当に支援が必要だった被爆者が、自らの思いを語ろうにも語れないまま、沈黙するしかないまま、とうの昔に絶望のうちに皆死んでいった、との指摘だ。
 今でこそ、新聞も被爆者の被爆体験を積極的に発掘し紹介しているが、これは実は最近のことなのだという。戦後20年間、被爆者は自らの体験を口にすることができず、沈黙するしかなかった。なぜか。被爆者差別があったからだ。長崎という地域社会の中にすら、被爆者に対する差別があった。日本人はみな、戦争の被害者という立場では同じはずなのに、差別ゆえに被爆者は声を上げることができなかった。メディアもまったく動かなかった。被爆者は身体的な苦痛に加え、精神的にも苦しまなければならなかった。そして、絶望のうちに死んでいった。
 多くの被爆者がそうやって死んでいった、死んでいくしかなかったことに、メディアはようやく気付いた。被爆者たちが死んでいった、まさにその当時は気付いていなかった。そのことに高橋さんは「痛恨の思いがある」と語った。そして、同じ戦争の被害を受けた者同士の間に差別を生み出したのは何かを考え続けることが、地元メディアの責務だと話した。
 また、戦争体験の風化があるとすれば、それはジャーナリズムから始まるのではないかとも訴えた。常に、戦争体験を掘り起こし、社会に伝えていく努力をしていれば風化は起こりえない。風化が始まるとすれば、ジャーナリズムがその努力を怠るようになったときだという。記者は被爆者の被爆体験を追体験することはできないが、体験を掘り起こしていくことで、被爆者の気持ちに近づくことはできるはずであり、ジャーナリストは被爆者が亡くなった後に、現代の語り部の役を果たさなければならない、と訴えた。
 パネルディスカッションの真っ最中に参院で郵政法案が否決され、あれよあれよと衆院解散へと進んだ。桂教授は、衆院選で問われるべきは、被爆体験を含めた平和憲法と改憲の是非でならなければならないと指摘した。決して郵政法案ではないと。その通りだと思う。それが選挙の焦点となるかどうか、これから1カ月間のメディアの真価が問われる。
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by news-worker | 2005-08-11 18:29 | メディア  

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