自民圧勝

 どうしてこうなってしまうのか。自民圧勝の衆院選結果にメディアは様々な分析をしているけれども、わたしにはよく分からない。日本の市民社会が「分かりやすさ」を求めている、あるいは「分かりやすさ」に反応することが明らかになったことは確かだろう。しかし、小泉首相が「改革の本丸」と叫び続けた郵政民営化法案は別として、それ以外にどんな改革、どんな社会を民意が求めているのか、今回の選挙結果からは見えてこない。郵政以外に争点はいくつもあったのに、小泉首相が郵政以外はまったく触れなかったからだ。今後の社会の方向性を決めるはずの選挙で、民意が求める方向性が実は示されていない。これが最大の問題ではないかと思う。
 選挙に先立つ衆院解散自体、民主主義の理念に照らして無理があったと思う。郵政民営化法案は衆院では可決されていたからだ。参院で否決されたからといって、衆院解散が許されるなら参院は必要ないことになる。党内の反対派を公認せず、刺客を立てるやり方も党内独裁だ。郵政民営化法案を立案する段階から、小泉首相の独裁手法は際立っていた。
 しかし、そうしたことをすべてひっくるめて、自民圧勝の結果になった。自民党も「政権公約」を発表していたから、あとはその公約を実現するだけということになる。例え小泉首相が選挙戦では郵政しか口にしていなかったとしても公約は公約、それは民主主義のルールだから当然だ。現憲法を捨てて新憲法をつくることも自民党は明言し、公約に掲げている。
 メディアの解説では、少々強引な手法でも反対派を切り捨て、刺客を次々に擁立した小泉首相の姿勢が「改革にかける情熱と行動」として有権者の心をつかんだ、という。その通りだろう。しかし、情熱と行動が目指す方向がそれでいいのか、という問題があったはずだ。本当に「改革」なのか、そう呼んでいいのか、「改悪」ではないのか疑う必要があったのに選挙戦では大きな論点にならなかった。小泉首相が「改革」を専売特許にしてしまうことに成功した時点で、ムード選挙へと大勢は決まっていたのかもしれない。
 憲法をはじめとして、これから小泉自民党は数にモノを言わせて「公約」を押し進めていくだろう。嘆いていても仕方がない。自民圧勝の前にかすんで見えるけれども、退潮が続いていた社民、共産は微増、あるいは現状維持で踏み止まった。希望は残っていると思う。
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by news-worker | 2005-09-12 10:00 | 社会経済  

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