自民圧勝 その3

 多分に誤解を招きそうだが、善悪を論じることが目的ではないことをまずお断りしておきたい。今回の衆院選を通じて決定的になったと思える自民党の変化のことだ。
 かつて自民党を動かしていた原理は派閥力学だった。自民党という一枚岩の組織があるのではなく、派閥の連合体だった。だから、自民党の政治家は党という組織が固有に養成するのではなく、派閥が自前で養成していた。総理総裁の交代も派閥力学の中で決まっていた。調整がつかないと総裁選になったが、これも派閥同士の連合や裏切りや諸々の政治劇を経て、最後は数の論理で決着していた。
 総理総裁には絶大な権限が集中しているけれども、実際にものごとが決まるのは派閥間の数の論理。閣僚も派閥の意向がものを言い、総理の人事権は建て前だけだった。
 これは一面では、自民党の中に複数の政党が混在していたような状態だった。実際に、課題によっては派閥間で政策の指向が違っていたこともあるし、得意分野もそれぞれあった。単独政権が長く続いたことの一つの理由だと思う。そして、1960年代の高度成長以後、自民党政権による一国平和と産業重視政策の元で、「一億総中流」と呼ばれる均質な社会、少なくとも国民がそう思っていられる社会があった。
 今はどうだろうか。恐らく、総理総裁の権限をだれにはばかることなく、自在に行使したのは小泉首相が初めてだろう。組閣は総理になった当初からそうだった。党内の派閥の意向には耳を貸そうともしなかった。今回、だれも望んでいなかった衆院解散を断行し、郵政民営化に反対した自党前職を公認せず、その選挙区に新人候補を擁立した。その結果の圧勝だから、わずかに自民党内に残っていた派閥力学ももう終わり。名実ともにスーパー総理が誕生した。こういう形で小泉首相は公約通り「自民党をぶっ壊す」ことを成し遂げたのかもしれない。
 しかし、そのときに均質な社会はなくなっている。「強い者はより強く、弱い者はより弱く」の潮流がますます強くなる。確実にそうなるだろう。「改革」を求めて小泉自民党を圧勝させた人たちの中に、実は「自分は勝ち組」とは思っていない人たちが相当数含まれているかもしれないところに、何とも言えない割り切れなさを感じる。
 改憲もそんなに遠くない。これから4年間、小泉流なら自民党は何でもやれる。もともと憲法については民主党も改憲指向だ。状況は今回の選挙での郵政民営化に似ている。小泉流なら、改憲の多岐にわたる論点を「改革」の一言に収れんさせてしまうことだろう。特に9条改憲は米国が強く求めている。イラクへの自衛隊派遣延長を、小泉首相は国会で、つまり国民に説明する前にブッシュ大統領に約束したことを思い出す。あれからまだ1年足らずだ。
 かつての派閥政治は別名を金権政治とも呼ばれた。数の論理、派閥の維持には金がかかるから、汚職事件も後を絶たなかった。派閥力学の中で、「実力者」と呼ばれた政治家には常にダーティーなイメージがつきまとった。しかし、それでも社会は「一億総中流」だったし、9条改憲が現実の議論に上ることはなかった。
 評論家の佐高信さんは今春闘の新聞労連の集会で講演した際、小泉首相の手法を批判する中で「クリーンなタカ」と表現し「尺度はクリーンかダーティかだけではない。ハトかタカかの尺度もある」と指摘した。わたしは自民党の変化を「汚れた民主主義か、きれいなファシズムか」と言ってもいいと思う。
 もう10年以上も前の1992年、社会部で東京地検特捜部を担当していたときに佐川急便事件が摘発された。これは、自民党中枢に切り込むと言われた事前の下馬評からすれば中途半端な捜査に終わったけれども、続いて翌年、「キングメーカー」「政界のドン」と呼ばれていた最高実力者の金丸信・元自民党副総裁が巨額脱税容疑で特捜部に電撃逮捕された。思えば、あのころが今日への始まりだった。「金権政治」「政治腐敗」「政治改革」。当時、わたしの頭の中にはそんなことしかなかった。10数年が経って、まさか「クリーンなファシズム」の社会になるとは思ってもいなかった。だからと言って、以前の自民党の方がよかったと言うつもりもない。冒頭に「善悪を論じることが目的ではない」と書いた通りだ。
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by news-worker | 2005-09-13 07:35 | 社会経済  

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