朝日「NHK報道」委員会の結論

 NHKの番組改変問題で、朝日新聞社が第三者機関「『NHK報道』委員会」の審議結果を公表した。あわせてこの問題をめぐる社内資料流出の管理責任を問い、東京本社編集局長と社会部長を更迭とする処分を決めた。
 委員会の結論を要約すれば、NHKの番組が自民党政治家の圧力で改変された、との初報記事には相応の根拠があり、記者が真実と信じた相当の理由はあるが、NHK幹部が自民党政治家に呼び出された経緯などは確認取材が不十分だった、ということになる。朝日新聞社は、今回の対応をもって社内調査・検証を終える。記事の訂正措置は取らない。当然というか、NHK側は訂正がないことに反発し、圧力を加えたと報道された自民党の安倍晋三氏は「捏造記事であることが明らかになった」とのコメントを出している。
 安倍氏ら政治家の圧力があったかどうかは、まさに事実関係の根幹であり、記事が誤報かどうかの分岐点になる。しかし、何が圧力という一点をとっても、圧力を受けた側、かけた側、双方を取材した側、それぞれでも受け止め方は違う。だから、事実関係の確認取材という意味では、安倍氏ら政治家とNHK幹部がいつ会ったのか、つまり放送前だったのか、後だったのか、NHK側から出向いたのか、政治家側が呼び出したのか、が決定的な意味を持つ。
 この点については、朝日記者が最初に取材したNHK幹部が放送前と認め、次に取材した安倍氏も中川昭一氏もこれを否定せず、放送前に会ったことを前提とする質問にも答えた。取材・報道の実務から言えば、これで「クリア」と判断しても無理はない。朝日の第三者委員会もこの点には理解を示している。
 しかし、委員会は、記事が「安倍氏がNHKを呼び出した」とした点には、確認取材が不十分だったと結論付けた。これはちょっと酷だな、というのがわたしの率直な感想だ。取材経験から言っても、取材の時点で当事者がみな否定していないのに、それ以上、疑う必要があるだろうか。当事者によって主張に食い違いがあれば、さらに取材が必要になってくるのは言うまでもないが、NHKや安倍氏が詳細に反論を始めたのは、朝日が報道した後になってからだ。
 朝日の第三者委員会が直接触れていない別の論点になるけれども、NHK側と何を話したのか、についての安倍氏の主張は、朝日の報道前と報道後では明らかに変遷している。わたしは安倍氏のコメントの変遷こそ、今回の問題の本質を如実に語っていると思っている。朝日記者の取材に対し安倍氏は番組内容の変更を求めた、と問わず語りに認めていた。しかし、それが大きく報道されて、自分の行為の社会的な意味に気付いた。そういうことではなかったのか。
 さらに言えば、中川昭一氏の朝日記者の取材への対応と、その後に「NHKとの面会は放送後」とした公式見解とには、常識では理解しがたい落差がある。勘違いでは済まない。
 安倍氏、中川氏のこの対応ぶりを、朝日新聞は1月18日付の特集紙面に掲載していた。朝日、NHK以外のメディアは、なぜ両氏の対応がこうも変遷したのかを追及すべきだった。今からでも遅くはない。
朝日新聞 1月18日付特集

 朝日第三者委員会の個別意見の中では、共同通信OBの原寿雄氏が「法廷では『疑わしきは罰せず』だが、ジャーナリズムは『疑わしきは報道する』のが原則である」と強調している点に、救いを見出した気がする。重要なのは「疑わしきものの報道」の対象だろう。公人、公権力を行使しうる立場にある者、公権力の行使そのものが取材テーマであるのなら、社会的に許容されてほしい。
 冤罪への加担、記者クラブ批判に代表される談合体質、「表現の自由」「知る権利」への希薄な問題意識など、メディアが抱える課題がヤマのようにあることも事実だが、今回の朝日のNHK問題で言えば、早くも安倍氏が言い出しているように「取材に甘さ=誤報」という図式が社会的に定着してしまうことを危惧する。それがメディア規制、表現規制を招くことは必至だ。

 社内資料流出の問題は、痛恨というほかないと思う。「疑わしきものの報道」を考えるとき、例えば取材相手の了解がないままにやり取りを録音することが許されるか、という問題がある。それはメディアの内部で議論をし、その判断を社会に問うべきだ。そうした問題意識が組織内にないのか、議論をする土壌がないのか。そういう意味では、朝日新聞だけでなく、組織ジャーナリズム全体にかかわってくる問題だと思う。
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by news-worker | 2005-10-01 11:31 | メディア  

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