権利としての労働組合

 尼崎から戻ってすぐに、11日は新聞労連の中央執行委員会、12-13日は中央委員会と会議漬けだった。
 新聞労連の中央執行委員は、北海道や東北、関東など地域ブロック組織である地連からの選出と、朝日、毎日、読売、日経の大手組合は組合単独からの選出の2種類からなり計21人。実際の会議となると、本部3役と呼ばれる委員長、副委員長、書記長のほか会計幹事2人や主要専門部のメンバーら、場合によっては各地連の委員長も加わって40人くらいの規模になる。中央委員は労連加盟の84組合のすべてから最低1人は選出。中央委員会の上には、全組合の代議員からなる「大会」があり、労連の最高の意思決定機関となる。中央執行委員会と中央委員会、大会の関係は、内閣と議会のそれだが、組合の執行部でも経験しないと、イメージを持ちにくいかもしれない。
 大会は毎年7月に新執行部と年間の運動方針を決める「定期大会」、1月下旬ないし2月上旬に春闘方針を決める「臨時大会」が開かれる。その合間に春と秋の2回、中央委員会が開かれ、春は春闘総括と夏の一時金(ボーナス)要求など夏闘方針がテーマ、秋は冬の一時金要求など秋年末闘争方針がテーマになる。この4回の大会、中央委員会が新聞労連の基幹会議となり、年間活動の基本サイクルだ。
こうしたことは、どの産業でも労働組合なら基本的に同じ。「闘争」や「たたかい」といった用語が並び、「団結ガンバロー」と拳を振り上げるスタイルは、旧態依然と言ってしまえばその通りだ。

 新聞労連の今回の中央委員会では、わたしは運動方針としても日常の取り組みとしても、「権利」の視点を基軸に据えようと訴えた。既得権益を守れ、という意味ではない。労働組合それ自体が、弱いものが団結し、交渉し、行動する権利である、という意味での権利であることを自覚しようということだ。
 印刷部門の別会社化という合理化では、前にも書いた(「譲れない一線がある」、「続譲れない一線」)下野新聞では、全下野労組の反対を押し切り、会社が来春の退職者の補充として、別会社の賃金を適用した高卒者の採用募集を強行しようとしている。労使が交渉している中での既成事実づくりであって、合理化案件は労使対等の事前交渉を経て決定されるという労使協定をないがしろにしている。これを許せば、労働組合は存在意義がなくなる。昨年、プロ野球選手会がこだわり、ストを決行したのもこの点にあった、つまり労使対等でプロ野球のあり方を話しあいたい、という点にあったとわたしは考えている。
 この労働組合という権利それ自体を手にできていない人たちが、社会には大勢いる。そうした人たちが無権利状態のままに置かれ続けるならば、既存の労働組合はまさに「特権」となり、「既得権益にしがみつく抵抗勢力」ということになる。実際に、9月の衆院選では労働組合はそう批判された。
 権利が権利として輝くためには、その権利が正しく行使されていなければならない。今は無権利状態の人たちが、どうやって労働組合という権利を手にできるか。組合を作ろうとしただけで解雇されてしまう例を、わたしも知っている。既存の労働組合がその手助けをしていかなければならない。わたしたちの抵抗が、正当な権利の行使とみなされるかどうかは、そうした運動を本気で進めるかどうかにもかかっている。

 全下野労組の別会社・転籍反対の取り組みの近況を少し紹介すると、労組は県議会や地元財界、地方自治体などへも会社の計画の無謀さを訴え、支持を要請している。組織の内側に閉じこもるのではなく、自分たちの労働条件の問題であるとともに、地方紙が担う地域の言論機関としての社会的責任を自覚し、やみくもな合理化が新聞に何をもたらすかを問おうと、労働組合が積極的に地域社会に出て行っている。スタイルは旧態依然かもしれないが、全下野労組の取り組みに地域の理解が得られつつあるとの実感を持っている。

 中央委員会ではこのほか、衆院選の結果を受けて改憲手続きの前倒しが始まっている、との情勢認識を示し、共謀罪の3度目の国会提出があっさりと決まったことなど、「言論・表現の自由」「知る権利」の危機的状況もより深刻になっていることを訴えた。執行部として特別決議を用意し、採択された。
 共謀罪をめぐっては、13日夜、日弁連主催の緊急市民集会に出席し、わたしも発言した。あらためて書きたいが、状況は相当に厳しい。
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by news-worker | 2005-10-14 10:58 | 労働組合  

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