放送の公共性

 楽天のTBS株取得、経営統合提案が話題になる中で、メディアのこの問題の報道ぶりに違和感を抱いている。そもそも電波の所有者はだれか。国民の共有財産のはずだ。企業としての放送局は、その使用権を独占的に認められているに過ぎない。企業買収劇である前に、電波の公共性の視点からの報道が必要なはずだ。フジテレビVSホリエモンのときにも、そうした指摘はあったけれども、今さらメディアの側が放送メディアの「公共性」を持ち出しても世間をしらけさせてしまうとの自虐的な自覚でもあるのだろうか。今回の楽天、TBSの報道でも、切り口は相も変わらずのようだ。
 もともと放送は公共事業として始まった。NHKに限らず、これは世界共通だ。完全な自由競争、競争原理の元にさらしてしまえば、放送の質の低下を招きかねないからだ。日本の民間放送も、放送法その他で規制を受けている。そのこと自体、情報統制の恐れなど両刃の刃ではあるが、一定のニュース・報道枠が義務付けられるなど、最低限の公共性は担保されている。青臭い視点かもしれないが、既存メディアの公共性が問われている今だからこそ、「公共性」は必要な議論ではないか。
 メディア研究の桂敬一・立正大教授が、憤りに満ちた一文を公表している。日本ジャーナリスト会議(JCJ)のホームページの「メディア・トピックス」に掲載されている。
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by news-worker | 2005-10-18 00:42 | メディア  

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