小泉首相の靖国参拝

 いろいろ書きたいのだが、時間がままならない。その中でも小泉首相の靖国参拝に、これだけは言っておきたい、ということを書いておこうと思う。
 まず、中国や韓国の抗議表明を「内政干渉だ」と言っていることについて。冗談ではない。「内政干渉」とは、国論が一致していることが前提だ。一国の国論が一致しているテーマに対して、外国が干渉してくることを言う。あるいは百歩譲るとして、国内で解決すべきテーマに対して、外国が干渉してくることだ。小泉首相の靖国参拝は、国論を二分している。司法判断も分かれている。しかも、その対立点を解消しようとする努力を首相自らが放棄している。「どうして憲法違反か自分には理解できない」と言ってはばからず、対立意見に耳を傾ける姿勢を放棄している。「近隣諸国に抗議されるからと言って、参拝を止めるわけにはいかない」というのは、小泉首相一流の論点のすり替えでしかない。
 世論の賛否が割れていることを、どう考えているのか。小泉首相は何も語っていない。首相の靖国参拝に反対の民意は、中国や韓国から抗議を受けるから参拝すべきではない、というだけではない。60年前に日本の敗戦で終わった戦争を、日本と日本人が主体的にどう考えるかが問われている。仮に、戦没者に哀悼の意を捧げるのであれば、同様に戦争の犠牲になった軍人・軍属以外の市民、日本軍に殺された沖縄の市民、そして日本軍の銃剣と軍靴に蹂躙され、犠牲になった近隣諸国の人々に、小泉首相はどんな哀悼の意を捧げるというのか。何も語っていないも同然ではないか。何も行動で示していないではないか。それだけの意識でしかないのに、「未来志向の外交関係」など構築できるわけがない。
 次に、「個人として戦没者に哀悼の意を表しているだけで、総理の職務ではない。憲法は信仰の自由を保障している」と言っていることについて。これはもう、怒りを通り越してあきれてしまう。靖国参拝、しかも8月15日に参拝するというのは、4年前の自民党総裁選の公約だった。自民党総裁になるということは、総理になることと同義だった。本当に、総理総裁の立場を離れて純粋に一個人として参拝しているつもりなのだとしたら、あの公約は何だったのか。総理総裁になりたいがための方便だったのか。だれも重視していなかった「郵政民営化」を自らの「公約」と強弁して、だれも望まなかった衆院解散まで断行した人間とは思えないご都合主義ではないか。総理総裁として参拝するからこそ、「小泉純一郎」が参拝する意味があるはずだ。紋付はかまやモーニングから平服に変え、本殿に上がらなかったとしても、その意味付けには何ら変わりがない。その意味付けは小泉首相自身の責任のはずだ。
 今回の参拝に対するメディアの論評は甘いと思う。政治家であるなら、自ら発した言葉には無限の責任が伴うはずだ。それを追及するのがジャーナリズムの責務だ。
 今回の参拝と、参拝後の小泉首相の言動に、わたしは本当に怒っている。


 追記

 昨日の昼間、仕事の片手間に聞いていた国会中継の記憶を元に、小泉首相が「憲法は信仰の自由を保障している」と主張していると書いたが、今朝の新聞で確認したら「憲法は思想、良心の自由を保障している」が正しかった。訂正します。
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by news-worker | 2005-10-19 23:54 | 平和・憲法  

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