共謀罪

 この1週間ほど、共謀罪に反対する日弁連や市民団体の集会にお呼びがかかり、何回かわたしも発言した。
 共謀罪については、ここにきて新聞各紙の報道も増えてきているので詳しくは触れないが、要するに、犯罪の実行行為(未遂も含む)を処罰の対象とする現行の刑法体系の原則が変わり、実行以前の人間の精神の内面、つまり「犯罪行為をやろう」という意思そのものを処罰対象とすることになる。しかも法務省提出の関連法案では、組織犯罪対策としながら適用対象になる団体の範囲は示されていない。犯罪の範囲も明確ではなく、最高刑が懲役4年以上の犯罪に適用とされているだけ。そのまま当てはめると、600以上の罪名が該当する。
 もし、共謀罪が新設された場合、具体的にどういうことが起こるかというと、日弁連主催の集会で紹介されたシミュレーションが分かりやすい。例えば、業績が悪化している会社の経理担当役員や経理担当の社員の間でいったんは「経理帳簿の不正操作やむなし」と相談した。しかし、その後「やっぱりやめよう」となり、業績悪化を正直に公表したが、それでも共謀罪は成立してしまう。
 取締りの対象は「共謀」。その場にいた者しか知らないはずのことを摘発するには、密告を奨励する一方で、盗聴や盗撮、電子メールや信書の無断チェックを合法化するしかない。ジョージ・オーウェルの今では古典となった「1984年」そのままの監視社会の到来だろう。
 いくつか参加した反対集会は、共謀罪の危険性が多面的に理解でき、とても勉強になった。そもそもは、国際犯罪集団に対抗する国連の国際条約批准のための国内法の整備とされ、法務省は国際テロ集団対策を強調している。しかし、国連条約の対象はマフィアや国際窃盗団などの単純刑事犯だという(日本のヤクザも含まれるかもしれない)。明らかに趣旨がねじ曲げられている。
 共謀罪それ自体も危険だが、共謀罪新設の動きが今、この時代に進んでいることの意味は、さらに深刻だと思う。「言論・表現の自由」「知る権利」を脅かす出来事が立て続けに起きている「この時代」に、である。
 いわゆる「ビラまき逮捕事件」が続き、先日は神奈川県の厚木基地の監視グループが、いつも通りに基地を望むマンションの踊り場に上がったところで、建造物侵入容疑で神奈川県警に逮捕された。「いつも通り」の行動なのに、だ。メディアはそうした動きに必ずしも敏感ではなく、メディアによって温度差があると感じているが、そのメディアをめぐっても、有事法制への取り込み(国民保護法の指定公共機関化)や、国民投票法案や人権擁護法案に報道規制、メディア規制が含まれていることなど、「言論・表現の自由」「知る権利」は危機的状況にある。共謀罪新設の動きは、この流れの中でとらえる必要があると思う。その流れの先にあるのは憲法改悪であり、日本が再び海外に出て戦争をすることだ。
 国家の戦時体制の中では、情報統制は不可欠だ。そのことは60年前までの日本の社会を見れば明らかだし、湾岸戦争時や9・11以後のアフガン侵攻、イラク戦争では、米国メディアはいとも簡単に狂信的な愛国心を発揮した。
 日本は1931年に満州事変を引き起こし、1945年8月に国中が廃墟となって無条件降伏するまで、しゃにむに戦争国家として歩み続けたのだが、その間、国内では言論が封殺され、だれも自由にモノを言うことができなくなった。猛威を振るったのが悪名高い治安維持法だ。では、その治安維持法がいつごろできたかというと、1925年だ。いわゆる「15年戦争」が始まる6年も前だ。
 共謀罪に話を戻すと、大義名分は国際テロ組織でも国際犯罪組織でも変わりはない。本当は捜査機関の捜査力の問題のはずだ。捜査力を高めて、犯罪「行為」を摘発するのが本来の課題のはずだ。一度、悪法ができてしまうとどんな風に使われるかは、治安維持法をみれば明らかだ。
 わたしは共謀罪にはもちろん反対だ。新聞各紙も社説などでは反対を打ち出しているが、読売新聞など一部の大手紙の論調には疑問を持っている。適用対象を犯罪集団に限定するなど必要な修正を加えた上で、テロ対策の国際協調のためにも早期に国会を通せという主張だが、問われているのは「人間の内心」を取り締まりと処罰の対象にしていいのか、という点のはずだ。読売の主張は危険だと思う。「犯罪集団」というレッテルさえ貼れば、だれにだって共謀罪は適用されることになる。

 共謀罪の説明はここが詳しい。
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by news-worker | 2005-10-22 22:51 | 平和・憲法  

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