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「悪魔」と「ねずみ人間」、ペルー人容疑者と宮崎勤被告

 広島の女児殺害事件は、ペルー人容疑者が1日に接見した弁護士に対し犯行を認めた。2日の朝刊各紙も大きく報道している。わたしは前回のエントリーで、「『警察はこういう見方をしている』ということを情報として報じるのもいい。しかし、そのことと容疑者が本当に犯人かどうかは、別の問題のはずだ」と書いた。容疑者が話した内容が警察からではなく、弁護士を通じて明らかになったのは、情報のクロスチェックの意味では評価できると思う。しかし、依然、容疑者には「無罪推定の原則」が考慮されるべきだ。
 彼が弁護士に話した内容は、朝日新聞(東京本社発行14版)の社会面に囲み記事で詳しく出ている。気になるのは「次の瞬間、何が起こったのか分からない。悪魔が自分の中に入ってきて体を動かした。気がついたら女の子が横たわっていた。まぶたを閉じていたので、死んだと思った。神に祈ったが、悪魔が去らなかった」と、殺害の実行行為は「分からない」としている点だ。女児に声を掛けたときの様子や、その後、遺体をダンボールに詰めたことなどは具体的なのに、だ。
 「悪魔」は宗教上の信仰にかかわりがある比喩的表現なのか、あるいは具体的に彼が経験した(と彼が思っている)事象なのか。弁護士は取材に対して、精神鑑定の必要性も検討する趣旨の発言をしたようだ。今後の推移によっては、仮に殺害の実行行為が確定しても、責任能力の問題が浮上する可能性が出ているということに留意したい。心身喪失の状態、善悪を判断する能力を欠いた状態なら、無罪になる。しかも、彼は日本語が不自由だ。メディアが慎重に、多角的に、捜査・取り調べ情報を集める必要があることには変わりがないと思う。

 「悪魔」で思い出すことがある。昭和から平成の変わり目にかけて埼玉県と東京都で4人の幼女が誘拐、殺害された事件だ。「おたく」という言葉が一躍、脚光を浴び「有害ビデオ」の排除を大義名分に表現規制まで招いた事件。わたしは当時、埼玉県警の担当記者で、文字通り、一連の事件発生地の埼玉県西部を駆けずり回っていた。
 この事件で起訴された宮崎勤被告とは、その後、東京地裁の審理を司法担当記者として取材するめぐり合わせとなった。被告人質問で彼は、幼女の1人の殺害について「ねずみ人間」と口にした。記憶だけなので確かなことは言えないが、「ねずみ人間が出てきて怖かった。気が付いたら幼女が倒れていた」と法廷で話した。彼が口にした「ねずみ人間」という言葉は鮮明に覚えている。
 「悪魔」を「ねずみ人間」に置き換えたら、今回の広島の容疑者とそっくりではないか。その宮崎被告をめぐっては、公判段階の精神鑑定で3通りの結果が出た。11月22日に最高裁で弁論があり、来春にも判断が示されそうだ。最高裁弁論のときの産経新聞の記事が、精神鑑定も詳しい。

by news-worker | 2005-12-02 11:13 | メディア  

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