鎌田慧さんの講演から~全下野新聞労組争議

 少し間があいてしまったが、11月28日に宇都宮市で新聞労連と全下野新聞労働組合が共催した市民集会・シンポジウムについて報告したい。
 そもそもは下野新聞社の経営側がことし5月、印刷部門の別会社化と、当該職場の社員に対し別会社への転籍を求める提案を労組に示したのが発端。労組が計画の白紙撤回を求めているにもかかわらず、会社側が印刷新会社のプロパー社員採用手続きを強行するに及んで、組合は11月8日、宇都宮地裁に別会社化計画の差し止めなどを求めて仮処分を申請し、争議入りした。
 11月28日のシンポは、この闘争・争議の意義を広く栃木県民・読者にも知ってもらい地方紙のあり方をともに考えたい、との発想で企画した。
 基調講演をお願いしたのは、自ら労働現場に身を置いた数々の力作を世に問うてきたルポライターの鎌田慧さん。「地方紙の研究」という著書もある。内容の濃い1時間の講演だったが、何点か印象に残った点を紹介する(テープ起こしではなく、わたしの手元のメモからなので、あくまでも鎌田さんのお話の要旨であることを了解いただきたい)。




  「地方紙は、その地域の毛細血管のようにして息づいているもの」 鎌田さんは、大手紙とは違う地方紙の特性を「地域の毛細血管」と表現した。おのずと大手紙とは異なるメンタリティがあるはずだ。それは記者の立場について言えば、その地域で取材者としてばかりではなく、同時に地域に根を下ろした生活者でもあるということだろう。地縁、血縁の中でモノを書いていく立場でもある。

  「新聞記者は、組織の中で大事にされなければいい記事は書けない。記者が大事にされるには、他の職場でも人が大事にされなければならない」 「記者を大事に」のところで鎌田さんは「決して特権ということではなくて」と言い添えた。逆に言えば、新聞の紙面にきちんとした記事が載っていないのでは、単なる特権階級としかみなされないということになる。「大事にされる」という意味には、単に給料がいいということではなく、ゆったりした環境の中で精神的にも余裕を持って仕事をする、ということでもある。そして、それは記者職だけではない。新聞社内で人を大事にする経営が貫かれていてこそ可能だ。

  「今の新聞経営者は、今後の新聞社を情報産業として考えているのか。編集部門だけを残して強化すればいいと考えているのかもしれないが、それは新聞経営の退廃だ」 地方紙のみならず大手紙も含めて、まさに今の経営者たちの発想を言い当てている。新聞は言論商品である。営利企業の側面もあるけれども、それだけではないし「言論」と「情報」の違いは大きい。「言論」は、情報を発信することに社会的な責任を伴うことと言えるかもしれない。ときにそれは営利、採算を度外視しなければやっていけない。しかし、今の新聞経営者たちの間では利益至上主義が幅をきかせている。

 「極端な合理化は、通常は労組を『御用組合』とした上で提案するもの。その意味では、下野新聞社の経営者は組合を見誤った」 「御用組合」云々は本当に目が覚める思いがした。「ああ、そういうことなんだ」と思った。新鮮な発見とでも言えばいいだろうか。やはり、労働組合は抵抗し、闘うことでしか強くなれない。抵抗を避けてばかりいると、やがてはわが身を守ることができなくなる、と思う。

 鎌田さんは今回の全下野労組の闘争に「序盤からはっきり『反対』を打ち出し、闘うスタンスも鮮明だから十分に勝てる。こんな合理化が出てくるのは経営の退廃。組合にとってチャンピオン闘争だ」と激励してくれた。「今まで『別会社化』を許してきた新聞労連も、今回は引かないつもりらしい。名誉回復を考えているらしい」と言われたのには、思わず苦笑してしまったが。ちなみに「チャンピオン闘争」とは、経営側と組合側の代表選手同士の、互いに引けない闘争というところだ。何度も書いてきたが、本当にこの闘争は新聞労連としても負けられないし、譲れない。

(参考)
全下野新聞労組のブログ「闘争日記!」はこちら
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by news-worker | 2005-12-06 02:20 | 全下野新聞労組の闘争  

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