被害者の実名、匿名(その3)

 国の犯罪被害者被害者等基本計画が12月27日に閣議決定された。事件事故の被害者を実名で発表するか、匿名で発表するかは警察の判断に委ねる、との項目はそのまま維持された。日本新聞協会と日本民間放送連盟は同日、共同声明を発表した(全文は新聞協会のホームページに掲載)。

(引用開始)
 犯罪被害者等基本法の施行を受けた犯罪被害者等基本計画が27日、策定された。わが国では、これまで犯罪被害者の権利が顧みられることは少なく、十分な支援も受けてこられなかった。この基本計画は、遅まきながら、犯罪被害者のための総合的施策のスタート台となるもので、私たちも評価する。
 ただ、その中で、被害者名の発表を実名でするか匿名でするかを警察が判断するとしている項目については、容認できない。匿名発表では、被害者やその周辺取材が困難になり、警察に都合の悪いことが隠される恐れもある。私たちは、正確で客観的な取材、検証、報道で、国民の知る権利に応えるという使命を果たすため、被害者の発表は実名でなければならないと考える。
 実名発表はただちに実名報道を意味しない。私たちは、被害者への配慮を優先に実名報道か匿名報道かを自律的に判断し、その結果生じる責任は正面から引き受ける。これまでもそう努めてきたし、今後も最大限の努力をしたいと考えている。私たちはこれまで、この被害者名発表に関する項目に異議を唱えて改善を求めてきたが、それは、被害者対策と国民の知る権利という、いずれも大切な公益をいたずらに対立させるのではなく、調和させる道があると信じたからである。私たちの再三の求めが容(い)れられなかったのは極めて残念で、ここに改めて遺憾の意を表明する。
 基本計画の策定にあたった内閣府の犯罪被害者等基本計画検討会で、この項目への私たちの危惧(ぐ)に対し、警察側構成員は「従来の私どもの考え方を何ら変更するものではない」と答えている。計画にこの項目が盛り込まれたとしても匿名発表が現在以上に増えることはない。そう確約したものと、私たちは受け止める。警察現場で、この項目が恣(し)意的に運用されることのないよう、私たちは国民とともに厳しく監視したい。

(引用終わり)

 今回の一件は「マスメディアよりも警察の方が信用できる」という当事者の声の方が、「ちゃんと判断するからわれわれに任せてほしい」と主張しているマスメディア側の声よりも世論の支持を得た、ということではないかと、わたしは考えている。少なくとも政府は世論の風向きをそう判断した、ということだと思う。
 このブログでも何回か書いてきた(ココココ)が、わたしは警察の発表は実名を原則とすべきだと考えている(なぜそう思うかは繰り返さない)。しかし、現に報道による被害はなくなっていない。「われわれに任せてほしい」と言うならば、報道被害を未然に防止し、真に権力の監視機能を果たしていく具体的な道筋をも、社会に提示しなければならない。それが今のメディアの側にできていないと思う。
 なぜ、できていないか。理由の一つは、責任の所在があいまいなことにある。思い切った記者クラブ改革ができないことと共通している。いわゆる「メディアスクラム」の防止についても、近年は「節度ある取材の申し合わせ」が各地の報道各社の責任者(全国紙の支局長や地元紙の編集局長ら)間で行われているが、各社の自由な取材と報道は担保されないといけないから、取材制限の強制はできない。互いの良識に期待する紳士協定どまりだ。ペナルティはせいぜい、記者クラブへの出入り禁止ぐらいであり、しかもそれはメディア同士の業界内的な効力でしかない。記者クラブに加盟していない雑誌やフリーランスだって存在している。いくら報道各社が申し合わせをしても、いくら個々の新聞社、放送局が改革に努めたとしても、各社の集合体としての一般用語としての「メディア」となると、とたんに責任が拡散してしまう。
 困難な課題であることは間違いないが、克服しなければならない課題だ。記者クラブ改革に通じる課題でもある。メディアの内部にいる人の間では、実は問題意識は相当に広まっていると感じている。その問題意識をネットワーク化して、具体的な改善策の提示に結び付けることができないかと考えている。
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by news-worker | 2005-12-30 17:36 | メディア  

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