宇都宮地裁決定の不当性(詳報)

 栃木県の地方紙「下野新聞」の社員でつくる「全下野新聞労働組合」が、経営側が提案した印刷部門の別会社化と社員の転籍計画に反対して、計画そのものと一切の準備行為の差し止めを求めた仮処分申請に対し、宇都宮地裁は1月26日に却下の決定を出したことは、速報としてお伝えした。組合側は不当決定として、27日に即時抗告を申し立てた。
 問題の経緯については、初めてご覧になる方は「全下野新聞労組の闘争」カテゴリーの過去のエントリー、並びに全下野労組のブログ「闘争日記!」、同労組のホームページを参照していただくようお願いしたい。
 さて、宇都宮地裁の決定だが、まず第一に、労働組合の存在意義そのものにかかわる労働協約をめぐって重大な不当判断がある。そして第二に、今回の別会社化合理化計画に対する組合側の主張を全面的に退けたのはともかく、なぜ組合側主張を採用せず会社側主張を丸呑みしたのか、理由も判断も一切示していないことに怒りを禁じえない。裁判所に組合の主張が論破されたのなら、場合によってはこちらも納得のしようがあるけれども、裁判所は単に「会社主張が正しい」と言っているだけだ。納得性も何もない。




 全下野労組の闘争の前提には、「合意約款」と呼ばれる労使間の労働協約がある。一般に労使関係は、最低限の決まりごとは労働組合法などの法規法令で規定されているが、その範囲を上回る個別の労使間の取り決めは労働協約、つまり労使間の独自の約束事の形で明文化される。下野新聞社の経営側と全下野労組が結んでいる労働協約には、「新たな資本投下、設備投資は組合との合意の上で行う」との「合意約款」が盛り込まれている。注意が必要なのは「組合と協議の上で行う」のではなく「組合と合意の上で行う」となっている点だ。
 今回の闘争に即して言えば、組合は計画の白紙撤回を求めた。しかし、会社は定年退職者などを見込んで春の新規採用が必要として、別会社での雇用を前提として求人手続きを強行する構えをみせた(組合の仮処分申し立て後に、現に強行した)。組合は計画の強行実施に向けた既成事実づくりの第一歩であるとして、この合意約款への違反を理由に仮処分申請に踏み切った。
 組合側弁護団が調べた類似の裁判例では、こうした個別の労働協約が争点になる場合、組合が労働協約違反をどこまで主張できるか、つまりその主張が組合の権利の乱用に当たるか否かが問題になる。現に今回は会社側もそうした主張をしていた。
 ところが宇都宮地裁の判断は、下野新聞労使の間で結んでいるこの合意約款に「会社が十分に組合に説明すれば、組合の合意はなくとも構わない」との解釈を示した。そして団交を13回開いたこと、70項目以上の質問書に回答を示したこと、転籍による賃金その他の労働条件の悪化に対し、いくつか緩和策を示して譲渡したことなどをもって、会社は十分に組合に説明しているからそれでよし、とした。
 冗談ではない。合意約款はあくまでも「合意」が必要であることを労使間で確認したものだ。地裁の判断は、「協議」が必要との「協議約款」にしか通用しない論法だ。会社を勝たせるための意図的な論理のすり替えすら疑われる。会社側だって主張していなかったことなのだ。弁護団はこの地裁の解釈について「刑事裁判に例えるなら、懲役10年の求刑に対して死刑の判決を言い渡したようなものだ」と指摘しているが、まったくその通りだ。こんな司法判断がまかり通るのなら、労働組合も労使間の団体交渉も存在意義が失われる。
 もう一つの問題は、計画そのものの必要性と合理性だ。この点について地裁は、会社側主張を丸呑みした。いわく、新聞社は今後は増収を図るのが難しいが、印刷部門を別会社化すれば商業印刷を容易に受注でき増収が図れるようになること、新聞業界では印刷部門の別会社化が一般的になっていること、転籍による労働条件の低下も印刷専業企業と比較すればそれほどではないこと、転籍に応じなければ配置転換はあるものの下野新聞社に残れること、などなどである。
 しかし、これらの論点のすべてに、組合側も詳細な主張を提出している。例えば商業印刷は、既に新聞印刷専業の企業もあって競争激化を招くだけで、決して受注が容易ではなく、むしろダンピング競争で収支が悪化しかねないこと、商業印刷のクライアントの意向が下野新聞本紙の紙面製作に悪影響を与えることが懸念されること、印刷部門は地方紙では直営が主流であること、全国紙と地方紙では印刷拠点の配置に違いがあり同一には論じられないこと、などなどである。
 転籍後の労働条件についても、新聞印刷はその性質上、就労時間は夜間から未明であり、一般の印刷業とは前提が異なる。また問題になるのは給与の水準ではなく、平均25%、ひとによっては30%という賃金の低下幅のはずだ。なぜならば、水準だけを見るのなら極論を言えば生活保護水準を上回っていればいい、というところまで行き着きかねない。配置転換にしても、とりわけ中高年がまったく異なる職種、職場に配転され、一から新しい仕事を覚えることが、どれだけ個人に負担を強いるかの観点がまったくない。勤労者のうつ自殺の増加とはそういう問題なのに。
 何よりも、別会社にしなければならない緊急の理由は何もない。新工場建設と新鋭輪転機の導入には、組合は何も反対していない。むしろきれいな紙面を自分たちの手で読者に届けたいと願っている。直営で運営できない理由は何もない。現に下野新聞社は黒字経営を維持している。将来に備えるにしても、社員のモチベーションを落とさない別のやり方があるはずだ。現に全下野労組はこれまでにも、人事賃金制度の変更なども受け入れてきた。何でも反対する抵抗勢力というわけではないのだ。印刷別会社化計画は、下野新聞社の将来展望を示しえない経営者たちが、自分たちでもできる唯一の方策として、極端な人件費削減、リストラ・コストカットを強行しようとするものだ。雇用責任、経営責任をあまりにも安直に考えている。

 確かに、新聞社の給与水準は高い。そのことを指摘して、今回の闘争に批判的な意見を表明するトラックバックを、このブログにもいただいたことがある。しかし、ぜひ考えていただきたいと思う。栃木県内では下野新聞社は優良企業の一つだ。「あの下野ですらやったのだから、うちがやるのは当然」と他企業の経営者たちが口々に25%の給与カットを言い出したとき、働く者の権利は一体どうなるのか。

 さて、話を宇都宮地裁の決定に戻す。組合主張に何らの見解、判断も示さないその態度は、それ自体が極めて不当だ。司法の責任を放棄しているに等しいと思う。だが、これまでの司法担当記者としての経験も踏まえると、そうするしかなかった裁判官の人間臭さも分かるような気がする。「裁判官も人の子」ということだ。
 実は労働組合の権利の弱体化、労使交渉の形骸化は、小泉首相流の「構造改革」の流れに乗っている。財界の要請と言ってもいい。例えば厚生労働省が進めている労働契約法制論議の中には、まさに今回の地裁決定と同じように「経営者は従業員に説明さえすれば何でもやっていい」という「労使委員会制度」の創設が含まれている。そういう意味では、今回の地裁決定は〝時代の先取り〟だ。逆に、労働組合の権利を重視し、経営者の暴走に歯止めをかける判断を下すことは、時代の流れに逆らうこととなる。裁判官の頭の中に、そういう意識はなかったか。だがそれは司法の番人として確固として弱者の権利の保護に努めるという態度ではなく、〝長いものに巻かれる〟ことだ。その後ろめたさのような心情が、組合側の主張には一切言及しないという形になって表れたと、わたしは見ている。

 宇都宮地裁の決定は不当極まりないけれども、逆にそれによって一層、労働組合の存在意義が明確になったと思う。働く者の権利を守り、ひいてはわたしたちの仕事を全うし、新聞が社会に負う責任を果たすためには、日々この手で新聞をつくって社会に送り出しているわたしたち自身が踏ん張るしかない、ということだ。
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by news-worker | 2006-01-29 13:21 | 全下野新聞労組の闘争  

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