沖縄の人々の怒りを共有する

 26日から沖縄に来ている。那覇市で新聞労連の青年女性部学習集会に参加し、きのう(27日)、宮古島に入った。3週間続けて週末は沖縄で過ごしている。沖縄は梅雨で、宮古島でも今、雨が降っている。天気予報ではきょう一日、雨が続く。宮古毎日労組の初団交を挟んで、31日まで滞在する予定だ。

 26日は「太平洋・島サミット」に参加する小泉首相も沖縄入りした。「沖縄の負担軽減」を強調しているものの、内実は「沖縄の恒久要塞化」にほかならない在日米軍再編の最終報告が公表されて間もない。いったいどの顔を下げて来たのか、と思う。
 米軍普天間飛行場の辺野古沿岸部移設をめぐっては、沿岸案反対を公約に掲げていた島袋・名護市長がいち早く受け入れに〝転向〟、外堀を埋められた稲嶺恵一・県知事も「政府案を基本とする」ことを認め、事実上、容認した。基地の県外移設を求める県内世論を一顧だにせず、政府はひたすら日米の軍事一体化に突き進む。日本全体が〝オキナワ化〟することでもあるのに、沖縄に比べ県外の世論はあまりにも鈍いことを感じる。

 小泉首相の沖縄入り前日の25日夜、これに抗議する市民団体や労組の緊急集会、デモが開かれ、激しい雨にもかかわらず1200人が参加したことを沖縄タイムス、琉球新報とも、26日付け朝刊の社会面で大きく伝えていた。沖縄の地元紙や放送局の労組でつくる「沖縄県マスコミ労組協議会(マスコミ労協)」も、集会とデモに参加した。
 5月14日に平和行進に参加した(過去エントリー)際にも、沿道では多くの人が行進団に手を振ってくれた。移動のタクシーの中でも、ある女性の運転手さんは「難しいことは分からないけど、どうしてこうなってしまうのかと思う。まったく納得できない」と話していた。決して爆発的ではないかもしれないが、沖縄の人々の怒りは高まっていることを来るたびに感じる。

 全国から70人近くが参加した新聞労連の26日の集会では、25歳のときに沖縄戦を体験し、家族・親族11人を失った安里要江さんを迎え、体験談を聞いた。その体験は、「沖縄戦 ある母の記録」(高文研)として一冊の本にもまとめられている。若い組合員たちはみな、涙とともに安里さんの話を聞いた。
 「わたしは沖縄戦で生かされた。わたしにとって、沖縄戦を語り継ぐことは、生きている限り続けなければいけない務め、生かされた者の務めです」という安里さんは「沖縄は日本に復帰したけれども、基地がある限り、本当に復帰したとは言えない。それどころか、さらに新しい基地ができようとしている」と激しい口調で怒りを口にした。そして「皆さんは新聞という本当に大事な仕事をされている。わたしみたいな者のつたない話を、皆さんに聞いてもらうのは失礼かもしれないと思った。でも皆さんの仕事は本当に大事な仕事。基地をなくし、二度と戦争をしない、世界中から戦争をなくすために大事な仕事。だからわたしの話を聞いてもらおうと思って、きょうは来ました」と話した。この言葉を胸に刻んでおきたい。
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by news-worker | 2006-05-28 08:34 | 平和・憲法~沖縄  

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