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「新聞記者=ジャーナリスト」ではない~名古屋で市民集会に参加

 きょう(30日)は名古屋市の市民団体「第9条の会なごや」の招きで、「『ジャーナリズムの危機』をこえるために市民はジャーナリストといかに連携すべきか!」と題した集会に、日帰りで参加した。
 4月に東京で開かれた市民集会で新聞労連の「しんけん平和新聞」を紹介しながら、自由な言論と自由な表現活動を守り、平和と民主主義に貢献していくためには、メディアの内側にいるわたしたちが、情報の受け手である市民とどう向き合っていくのか、交流していくのかが問われる、という主旨の話をした。その場に「第9条の会なごや」のメンバーの方も参加しており、今回、わたしに声が掛かった。
 最初に基調報告という主旨だと思うが、わたしが1時間余り講演した。タイトルは「危機の自覚が問われるメディアとジャーナリズム~『わたしたちのメディア』『わたしたちの新聞』のために~」。このブログでも書いてきた「共謀罪」をめぐる大手メディアの感度の鈍さイラクからの自衛隊撤収の際の〝報道管制〟などを紹介した。また、「言論・表現の自由」「知る権利」にかかわる重大なテーマであっても、メディアの足並みはそろわず自らの首を絞め続けている実態も報告した。
 サブタイトルの「わたしたちのメディア」「わたしたちの新聞」には、主催側の問題提起に呼応して、市民とともにあるメディア、読者とともに歩む新聞をどう実現させるかを参加者の皆さんと考えたい、という思いを込めた。この点に関してわたしからは、記者の一人ひとりが〝会社員〟意識を脱却して、ジャーナリストとしての職能意識を持つ場が必要であることを話した。つまり、新聞記者は「記者」の肩書きを持つ新聞社の社員に過ぎないのであり、ただちに「新聞記者=ジャーナリスト」になるのではない、ということだ。
 そしてジャーナリストたりうるためには、憲法の精神を体感する記者教育、記者研修が必要だと思っていることを話した。憲法の精神とは9条だけのことではない。現憲法の精神は個の尊重と人権の擁護に貫かれており、その観点からはジャーナリズムに必要なのは「権利が守られているのか」という視点を常に維持していることだと思う。だからジャーナリストは権利の侵害にだれよりも敏感でなければならない。そうなるには、なるべく早くそういう現場に身を置くしかないのではないか。そんな話もした。
 最後に、いい記事にはぜひ激励の声を届けてほしいとお願いした。市民・読者からの激励の声こそ、わたしたちの最大の励みだ、と。
 わたしの後には、地元紙名古屋タイムスのベテラン記者の方も発言。「第9条の会なごや」の会員の1人もメディア・ウオッチャーとして発言に立った。
 この方は、現在のメディアの問題点の一つに「表現からのエンベット(埋め込み)」を挙げた。例えば北朝鮮のミサイル騒動では圧倒多数のメディアは政府の言うとおり「ミサイル発射」と報じた。ごく一部のメディアだけが「ミサイル発射実験」とした。「ミサイル発射」という用語を選択した時点で、そこに特定の思惑が埋め込まれているというわけだ。また、市民としてメディアとの連帯とは、メディアの報道を自分なりに評価して、それをメディアに伝えることだと強調した。実践の経験談も話した。
 会場には30-40人ほどの参加者がいた。会場との質疑応答も活発だったし、わたし自身も思うところは多々あった。名古屋の皆さん、本当にありがとうございました。
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by news-worker | 2006-07-31 02:34 | 平和・憲法  

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