被爆61年目の広島

 4日から広島に来ている。原爆投下からことしは61年目。8月6日は3年連続で広島で過ごしていることになる。きのう(5日)は、ドキュメンタリー映画「Marines Go Home」の藤本幸久監督らをゲストに招いて、日米軍事一体化と平和憲法をテーマに、日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)のフォーラムを開催した。戦争には加害と被害があるとすれば、日本はもはや〝加害者〟になりつつあるのではないか-。そんなことを感じる刺激的な議論が展開され、充実した内容となった。詳細は後日、あらためて報告したい。フォーラムの途中からは、韓国の新聞、放送、出版労働者らの単一組合である全国言論労組(NUM)の代表も合流し、日韓のマスコミ労組交流も続いている。
 きょう(6日)はMICフォーラムの参加者、NUM代表団とともに、朝8時から平和記念公園で開かれた平和記念式典に参列した。中国新聞の号外によると、広島市は参列者4万5千人と発表している。
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 平和宣言で秋葉忠利市長は核廃絶が進まない状況を指摘しつつ「迷える羊たちを核兵器の呪縛から解き放ち、世界に核兵器からの自由をもたらす責任は今や、私たち世界の市民と都市にあります。岩をも通す固い意志と燃えるような情熱を持って私たちが目覚め起つ時が来たのです」と述べ、日本政府には「核保有国に対して『核兵器廃絶に向けた誠実な交渉義務を果せ』と迫る、世界的運動を展開するよう要請します」と注文をつけた。



 宣言の中には「平和憲法の遵守」という言葉もあったが、個人的に注目していた在日米軍再編、ないしは日米軍事一体化に直接言及する表現はなかった。c0070855_151615.jpg しかし、読みようによっては、「迷える羊たちを核兵器による呪いから解き放ち、世界に核兵器からの自由をもたらす責任」の「迷える羊」とは、米国の核の傘に入り続けてきた日本、さらには、専守防衛を捨てて米国の核の傘にますます依存し軍事的融合を進めつつある日本政府を、間接的な表現ながら批判している、と受け取れなくもない。が、真意は分からない。
 来賓として式典には小泉純一郎首相も出席。あいさつでは「今後とも憲法の平和条項を遵守し、非核3原則を堅持する。核兵器廃絶と恒久平和の実現に向け、国際社会の先頭に立ち続けることをあらためて誓う」と述べたが、空しく聞こえる。首相就任以来5年連続で式典に参加したことを自慢げに口にしたのには、正直に言ってあきれた。一方的な侵略戦争に等しいイラク戦争を支持し、自衛隊をイラクに出し、もしかしたら海外で武力行使となったかもしれなかったのに、自分のことを本気で平和主義者だと考えているのか。だとしたらよほど頭が悪い。そうでないとしたら、原爆犠牲者、被爆者をバカにした態度だ。

c0070855_1542882.jpg 式典後は、中国新聞労働組合主催の「碑前祭」に参列した。平和記念公園の一帯には、多くの慰霊碑がある。そのうちの一つに、原爆で犠牲になった新聞労働者の慰霊碑がある。原爆投下から40年の1985年に中国新聞労組が建立した。碑に名前が刻まれているのは、中国新聞社員の殉難者だけではない。朝日、毎日、読売など大手紙、共同通信の前身の同盟通信などの当時の広島支局員の名前も刻まれている。以来、毎年、社員犠牲者の遺族の方もお招きし、中国新聞労組が慰霊祭を行っている。
 犠牲者は熱線と炎に体を焼かれ、即死を免れた人も全身にやけどを負って、水を求めながら息絶えていったという。だから、どの慰霊碑でもこの日は碑に水をかける。
 きょうも広島は61年前と同じようによく晴れ渡った。真夏のジリジリした日ざしが暑い。わたしもひしゃくで水をひとすくい、碑にかけ、花を供え手を合わせた。NUMのメンバーも続いてくれた。ちなみに、平和公園の中には朝鮮半島出身者の犠牲者の慰霊碑もある。
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by news-worker | 2006-08-06 15:51 | 平和・憲法  

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