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小泉首相がとうとうこの日に靖国参拝

 小泉純一郎首相が15日、靖国神社に参拝した。かねてから予測されていたことであり、あらためて驚くことでもなくなっている。首相が靖国神社に参拝することのどこに問題があるかについても、既にありとあらゆる論点が出尽くしている感があるので、ここでは触れない。わたし自身の考えは、「憲法違反」であり明確に「反対」だ。
 少し突き放して眺めてみて感じることを書いておきたい。
 ひとつは「公約」のことだ。小泉首相が8月15日にこだわり、最後のチャンスの今年、強行したのは、5年前の自民党総裁選での公約だったからだ。当時、総裁選の取材グループにいたから、この公約の唐突感はよく覚えている。遺族会の支持を取り付けるために、まったく突然に「8月15日の靖国参拝」を言い出した。その以前から、いわゆる「靖国問題」はあった。しかし小泉総裁候補はそれまでは格別関心を示さず、参拝にも熱心ではなかった。



 小泉総裁候補が総裁選の何カ月か前、鹿児島県・知覧の特攻隊記念館を訪れ、戦死した隊員の遺書に涙を流した、というエピソードが広まってきているが、これにしても、一国の首相を目指そうという者が、そんないい歳になるまで、特攻隊員の遺書すら目にしたことがなかったことこそ問題だと思う。この調子では、戦没学生の手紙「きけ、わだつみの声」(Wikipediaに記載あり)も読んだことがないのだろうし、沖縄戦の住民被害の体験も、広島、長崎の被爆者の60年の体験も、読んだことも聞いたこともないだろう。
 知覧の体験が小泉首相の平和への原点であるとすれば、まことに安っぽい、軽薄な平和観だと言うほかない。映画「ほたる」で有名になった知覧の記念館はわたしも行ったことがある。わたしは特攻隊員の死を、手放しで崇高な死とあがめることは避けたいと思う。厳しい言い方かもしれないが、犬死に等しい。当時の軍部の中にも「統帥の外道」という厳しい批判があったくらいだ。それは出撃して戻らなかった特攻隊員たちがいちばんよく分かっていたはずだ。だから痛ましいのだし、二度と繰り返してはいけない歴史なのだ。
 知覧に一回行っただけの安っぽい平和観が、総裁選での票欲しさと結びついたのが「靖国参拝」という公約だったとすれば、何と中身のない軽い公約だろうか。中国、韓国の抗議を「内政干渉」と言い、外圧に屈しない強いリーダーのイメージに結びつけ、それがまた高い支持率につながる。しかし、その実相は、単に頭の悪い男の周囲を見ようとしないわがままだけではないか。頭は悪くても、権力は持っている。ここまで書いてみて思うのだが、小泉首相の靖国問題の本質は、この辺にあるのかもしれない。
 もう一つは「肩書き」のことだ。小泉首相は今回も「内閣総理大臣」と記帳している。何と言おうが、肩書き付きで参拝したのだから政教分離に明確に違反している。明確な憲法違反だ。少なくとも、それが一般の市民感情ではないか。しかし、小泉首相は必ず「内心の自由」を持ち出す。
 少し前だが、国家公務員が休みの日に政党機関紙を配布して、公務員の政治活動に当たるとして有罪判決を受ける、という出来事があった。この判決の不当性はひとまず置くとしても、一般の公務員ではこれが現実である。休みの日に、「内心の自由」に従って、公務員の職務にまったく影響がない(このことは判決も認めている)範囲で、まったくの私人として行ったことでも、それが特定政党の機関紙だという理由で、公安警察につけ回され、有罪判決を受ける。
 一般の公務員のこの実態があるのに、最高の公務員である「内閣総理大臣」が、そうと名乗って特定の宗教施設に参拝することが、どうして許されるのか。私人としての私的参拝であると主張するなら、せめて肩書きは「国家公務員」ぐらいにすべきではないか。それでも政教分離に抵触するから「日本国民 小泉純一郎」ぐらいが妥当か。それだって、先の機関紙配布の例で言えば、有罪になるのだ。

 瑣末と言えば瑣末なことばかりを書いたが、今、関心があるのは、今回の〝強行参拝〟に世論がどういう反応を示すか、だ。新聞各紙はいずれ世論調査を実施するだろう。過半数かどうかは別として、恐らく「参拝支持」も相当の割合になるのではないかと思う。前回のエントリーで、戦争には加害と被害の両面があり、日本は既に加害者になりつつあるのではないか、という趣旨のことを書いた。この「そうとは自覚していない加害意識」と、靖国参拝を強行する首相が高い支持率を保っていることとは、同根だと思う。これは歴史認識の問題かもしれない。

 冒頭、小泉首相の参拝強行に「驚きは感じない」と書いた。驚きは感じないが、これまでになく怒りを覚えている。

追記 8月15日午後7時20分
 小泉首相は参拝後、記者団に「人間小泉純一郎」として参拝したことを強調した。さすがに、頭が悪いなりに「首相として参拝」では憲法違反になることは分かっているらしい。だったらなぜ、「内閣総理大臣」と記帳するのか。「人間 小泉純一郎」と書けばいいではないか。そうしないのは、公約が「首相としての参拝」だったからだ。もはや、彼がやっていることと話していることは支離滅裂になっている。
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by news-worker | 2006-08-15 13:31 | 平和・憲法  

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