酒気帯び運転の朝日記者の懲戒解雇は仕方がないと思うが…

 朝日新聞の甲府総局の男性記者(27)が19日、酒気帯び運転で検挙されていたことが20日、山梨県警の発表で明らかになった。その夜のうちに、朝日新聞が自社サイトで記者を実名で報じたことをきっかけに、新聞各社や放送各局も記者を実名で報じた。朝日新聞は21日付けの朝刊紙面では、東京本社編集局長名の「読者の皆さまに深くおわびいたします」とのおわび記事を3段の囲みという異例の大きさで掲載した。別に、他メディア向けに公表した編集局長コメントには「情けないとしか言いようがありません」との文言があった。この記者は21日に懲戒解雇となった。
 福岡市で一家5人のRV車が飲酒運転の福岡市職員の車に追突されて海中に転落し、子ども3人が死亡した事故以来、飲酒運転に対する世論は厳しさを増している。各メディアもこぞって、飲酒運転の撲滅を訴えるキャンペーンを続けている。当の朝日新聞も社会面に「NO 飲酒運転」のタイトルカットをつけて連日、関連記事を載せ続けている。そういうさなかでの、記者の酒気帯び運転だった。この記者自身、警察担当として飲酒運転をめぐる記事も書いていた。
 「懲戒解雇は過酷にすぎる処分ではないのか」。率直に言ってそう思う。3カ月でも半年でも出勤停止処分にし、復帰後もしばらくは取材現場に出さず断酒させ〝更正〟を待つ、という方法もあるのではないかと思う。



 しかし、飲酒運転撲滅のキャンペーンを紙面で続け、公務員が飲酒運転で懲戒免職になった事例なども報じている、そういう新聞の足元の不祥事だ。過酷に過ぎるくらいの処分でなければ、読者の信頼を失うこともまた間違いない。極端な話かもしれないが、この記者を在籍させたままでは、朝日新聞の他の記者は飲酒運転をめぐる記事は書けなくなってしまう。紙面が成り立たなくなってしまう。岡山県警であったケースだが、飲酒運転の警察官は懲戒免職だ。そうしなければ、警察は飲酒運転の取締りができなくなってしまう。そのことと似ている。
 「情けないとしか言いようがない」という朝日新聞の苦悩はよく分かるし、仮にいかなる事情がこの記者にあったとしても、新聞記者であるというその一点で、懲戒解雇処分も止むを得なかったのではないかと考えている。
 しかし、これは「運が悪かった」「時期が悪かった」とかの問題ではない。処分の是非以上に、より本質的な問題があると思う。なぜメディアの不祥事が後を絶たないのか、ということだ。
 朝日新聞で言えば、これで2年続けて地方総局の若手記者が懲戒解雇となった。昨年9月の衆院選取材をめぐって、長野総局の記者が田中康夫長野県知事(当時)の取材メモをねつ造した。朝日新聞は社内調査を行い、紙面でも3ページにわたって調査結果を掲載。その後、解体的出直しを表明して、社内の改革に取り組んできたはずだ。自社の宣伝広告ではあるが「ジャーナリスト宣言」も大々的に打ち出していた。なのに、飲酒運転撲滅キャンペーンのさなかに、酒気帯び運転をする記者が出てしまった。これはいったい、どういうことなのだろうか。
 朝日新聞だけではない。去年はNHK大津放送局の若手記者の放火事件もあったし、産経新聞ではコウノトリの合成写真、民放では福岡で記者の強姦事件もあった。営業部門では北海道新聞で横領事件が続いた。他社だって、対岸の火事と眺めていたわけではない。新聞界、放送界とも、各社それぞれに信頼回復を課題としてとらえ、対策に努めているはずだ。
 昨年、メディア各社の不祥事、それも編集現場の若手の記者やカメラマンの不祥事が続いた時に気になったことがある。どの新聞社、放送局も、多かれ少なかれ原因を記者個人の資質に求めようとしていたことだ。今回の酒気帯び運転の朝日新聞記者にしても、その感はぬぐえない。「情けないとしか言いようがない」とのコメントに、「こんなに記者教育を厳しくしているのに、こんな記者がいたとは情けない」というニュアンスが感じられて仕方がない。
 メディア各社は不祥事防止に躍起となって、さまざまな対策を取っている。しかし、その発想は詰まるところ、記者の管理強化にしか向かっていないのではないか。本来必要な措置と実際に行っている措置とが大きくずれているように感じられてならない。
 本来必要な措置とは何か。それは生活者としての市民的な感覚を記者が自然に身につけられるような環境を整えることだと、わたしは思う。記者にもっと自由な時間を与え、地域の生活の場に身を置かせることではないだろうか。そうやって、記者が自然に市民的感覚を身に付け、市民としての権利意識に敏感になることが、メディアの信頼回復には不可欠だと思う。
 不祥事に厳しい処分を課すのは仕方がないと思う。しかし、せめてその後の再発防止対策では、ただ管理を強めるだけではなく、今一度、読者・市民に支えられてこそのメディアであることを思い起こすべきだと思う。そうでなければ、厳しい処分も、職場のモチベーションを下げるだけの結果しか招かない。
 ことし7月、新聞労連の新研中央集会でゲストに招いた専修大助教授の山田健太さんが「新聞は自信を失っている」と指摘されたことを思い出す(過去のエントリー参照)。メディアの不祥事が続くことの背景事情には、この「自信喪失」も深くかかわっていると思う。自信を失っているから、管理強化にしか進まない、という気がしてならない。
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by news-worker | 2006-09-23 15:14 | メディア  

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