2005年 07月 23日 ( 1 )

 

JR事故シンポ

 尼崎の電車脱線事故をテーマに22日に大阪で開かれたシンポは、市民を含め約450人が入場し盛況だった。
 わたしもパネラーの一人として参加したパネルディスカッションでは、柳田邦男さんが「事故が起きるか起きないか、の二者択一の発想ではなく、事故が起きたときにどれだけ犠牲、被害を少なくできるか、との発想も必要」と指摘したことが印象に残った。鉄道経営を研究している日大商学部の桜井徹教授は、英国でもドイツでも鉄道が民営化された後に大事故が起きたことと、今回のJR西日本の事故とに共通点があるのかないのかが、今後の研究のテーマだと話した。なるほど。
 国鉄分割民営化により発足したJR西日本が、利益最優先の経営体質になっていたこと、すっかり有名になった「日勤教育」に代表されるいびつな労務政策があったことなどが、既に繰り返し指摘されている。シンポでわたしが話したのは、政財界が「JR発足は華々しい成功例である」とほめたたえていた「規制緩和」の「そもそも論」だ。
 規制緩和の本質は「競争原理」の推進にある。競争原理とは、とにかく事業者同士が競争すれば、経営は合理化され商品やサービスも向上し(質は上がり価格は下がる)、社会・経済が活性化するとの考え方だ。規制緩和によって新規参入が可能になり、新しいビジネス・チャンスも広がる。競争の敗者は退場するしかない(つまり倒産する)が、新しいビジネスが雇用を吸収するからみんなが幸せ、とかつては喧伝されていた。
 しかし、実際に起きていることは何だろうか。企業(事業者)は一度、競争を始めたら走り続けるしかない。足を止めたら最後、そのとたんに倒れるしかないのだから。しかし、商品やサービスは値上げできない。価格を維持しようとすればサービスを向上しなければならないし、それができないなら価格を下げるしかない。つまり「減収増益」を図って生き残るしかない。他社との競争が続く限り、コストカットも続くことになる。
 結果として、人員削減と人件費の抑制が果てしなく続き、長時間過密労働が激化して過労死、過労うつ自殺が増えることになる。「敗者」はどうだろう。再就職しようにも、どの企業も人員削減に躍起だから、そうそう希望通りの仕事もない。規制緩和で成長した人材派遣会社に派遣社員として登録するしかなく、労働条件はいよいよ下がることになる。「勝者」だって、勝者の地位にとどまれるわけではない。ダイエーがいい例だ。今日の「勝者」もあすは「敗者」、それが競争原理だ。
 わたしがシンポで言いたかったのは、企業倒産の増大も自殺者の激増も、実は規制緩和の当然の帰結と言えること。結果論として言っているのではない。10年も前から警告もあったのに、広範な国民的議論にならなかった。そして、その意味では、荒廃した職場で疲れ果て、過労死するサラリーマンも、JR西日本の事故で亡くなった乗客も、もちろん運転士も、異なる「死」にように見えて、実はつながっているのではないか、ということだ。
 そもそも規制緩和には、本当の意味での消費者の「自己責任」が浸透していること、企業の側では不祥事など企業経営に不都合な情報ほど開示されることが絶対の前提条件だ。新規参入、新規ビジネスが登場するということは、消費者の選択肢が広がるということだ。何を選ぶかは自分が責任を負わねばならない。だから企業はメリットもデメリットも開示しなければならないし、製造者責任(PL)も負う。こうした前提条件が今は崩れ去っている。
 さらに、通勤通学の足としての鉄道は、実は消費者にとってそんなに選択の幅はない。阪急か阪神か、JR西日本か、それを選ぶのは乗客の「自己責任」であるはずがない。公共交通機関は、利益追求ではなく安全追求でなくてはならない。そこでは「官」の指導監督は当然のことだ。
 わたしはJR西日本の経営体質を問題にするだけでは、再発防止は期待できないと思う。こうした現在の社会経済の状況そのものを考え直す、その広範な国民的議論が必要だ。JR西日本の固有の問題という発想だけでは、仮にJR西日本が改善されたとしても、今度は飛行機が落ちるだろう。JALもANAもゴールのないトラックをひた走っているのだから。そのためにジャーナリズムが果たさなければならない役割と責任は大きい。尼崎の事故で言えば、経済部でも社会部でもいいから、国鉄の分割民営化を問い直す検証が必要だ。
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by news-worker | 2005-07-23 22:39 | 社会経済