2006年 07月 14日 ( 1 )

 

400年という過酷な時間を理解しなければならない~沖縄・宮古島で考えたこと

 宮古島に滞在している。きょう(14日)は午後の空き時間に、ホテルを出て少し散歩した。宮古毎日新聞労組の支援で5月以来、宮古島に来たのは5回目になるが、なかなか島内をゆっくり見る機会がなかった。
c0070855_18232897.jpg 平良港から少し足を伸ばすと「人頭税石(にんとうぜいせき)」という高さ140センチ余りの石がある(写真)。傍らに立つ案内板によると、大正10年に宮古島を訪れた民俗学者の柳田国男が「賦測石(ぶばかりいし)」として、著書「海南小記」で紹介し有名になった。琉球王朝時代のこととして、柳田は「この石で背丈を測り石の高さに達すると税を課された」と記しているという。しかし、これは俗説で、実際には島民は戸籍によって税を課されたらしい。
 案内板の記載によると、1637年に琉球王朝は先島(宮古島や石垣島と周辺の島々)に人頭税制を敷いた。「頭数」つまり人口によって穀物や織物を税として課した。1710年からは、年齢(15-50歳)が基準になった。人頭税制は明治になり、琉球が沖縄県として日本の領土に組み込まれた後の1903年まで続いた。
  「1637年」という時期は重要だ。琉球は1609年に薩摩藩の武力侵攻を受け、以後、間接支配を受ける。薩摩の過酷な貢租取立てに対し、琉球王朝は先島住民への賦課でこれをしのいだ、というのが定説のようだ(引用として適切かどうかは分からないが、例えばウィキペディア「人頭税石」)。

 江戸時代を通じて、琉球王朝は薩摩に忠誠を誓いながら、一方では中国(清王朝)とも独自に外交関係を結び、からくも独立を保っていたとされる。しかし、沖縄は明治期に日本領に組み込まれたために、第二次大戦で過酷な地上戦を経験しなければならず、戦後は米国支配のもとで「銃剣とブルドーザー」の基地建設によって、やはり過酷な圧制が続いた。日本復帰から34年になる今も基地の圧迫は変わらず、それどころか、在日米軍基地の再編によって恒久的な軍事要塞化が進もうとしている。
 沖縄の基地被害は沖縄だけの問題ではなく、日本(ヤマト)全体の問題だと、何度かこのブログでも指摘してきた。わたしたちヤマトの人間は、「今」だけを見ていては沖縄の苦悩を理解できないのではないか。「世界の中の日米同盟」などというものは、極めて近視眼的な貧弱な歴史観の産物でしかない。沖縄が経験してきたこの400年という過酷な時間を、ヤマトのわたしたちは理解しなければならないのではないか。宮古島で人頭税石を見ながら、そんなことを思った。
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by news-worker | 2006-07-14 18:29 | 平和・憲法~沖縄