カテゴリ:読書( 4 )

 

書評「ウェブ進化論-本当の大変化はこれから始まる」

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 多くのブログで取り上げられているのを見て読んでみた。インターネットのシステム面はまったくといいほど知識がないわたしでも、それなりに今後のネット社会のイメージを頭に描くことができる。Google、Amazonがそれまでのネット企業とどう違うかもよく理解できる。そういったことを念頭においてあらためて「EPIC2014」を見ると、ニューヨーク・タイムスが競争に敗れ去り、「紙」特化に原点回帰していくという近未来ストーリーも、今まで以上に切実感を感じる。
 ひと言で言えば、ネットに興味があってブログもやってみたいのだけれど、今さら「Googleって何?」と恥ずかしくて人に聞けない、40代以上の中高年に最適の一冊かもしれない。どうせ読むならば、隠れてではなく、職場で堂々と「今、読んでいるんだ」と宣言することをお奨めする。多分、20-30代の部下との会話のきっかけになると思うし、彼らから色々と新しい知識を得ることもできるだろう。知らないことを教えてもらうのは「恥」ではない。
 
 わたしは著者の梅田望夫さんと同い年。そのことに関連して言えば、実は本書でいちばん印象に残ったのは「終章 脱エスタブリッシュメントへの旅立ち」だった。
 わたしを含め、大概の凡庸な組織人は一定のところまで階段を上ってくると、あとは上しか見なくなる(「見えなくなる」のかもしれない)。その頃には、身についている術といえば、組織の中でしか通用しないものばかりになっている。それが40代半ばという年代ではないかと、わたし自身を省みて思う。この場合の「組織」とは、別に特定の企業や団体に限らなくてもいい。「新聞業界」とか「新聞記者の世界」と言ってもいいかと思う。
 梅田さんが組織人であるかどうかは別にして、さらには「それでも梅田さんはエスタブリッシュメントではないか」という指摘があるかもしれないが、梅田さんが主観として「脱エスタブリッシュメント」と言い切るところに、ある種の感銘を受ける。「牛尾を捨てて鶏口とならん」というその姿勢に、まばゆさすら感じる。この気持ちは、同世代にしか分からないかもしれないが。
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by news-worker | 2006-03-12 22:53 | 読書  

書評「働きすぎの時代」

 
c0070855_11392492.jpg今だけ委員長さん「初売りで賑わう商店街で… 運ぶ手間=300円」のエントリーで、郵政公社とヤマト急便が、福袋の発送を1個300円で請け負うのを見て「これまでは、消費者ニーズがあるから仕事が生まれてきたのでしょうが、いまは『仕事を得るため』にこれまでの生活習慣すらもぶち壊す方向へ向かっているように感じます。自分で買った物を運ばせる―日本人ってそんなに裕福な生活習慣が備わってしまったのでしょうか。」と感想を書かれている。わたしも同感。少し前に読んだのだが、森岡孝二・関西大教授の「働きすぎの時代」(岩波新書)を思い出した。
 労働時間は世界的にみても1980年代以降、増加に転じている。森岡教授は今や世界は新たな「働きすぎの時代」に入っていると指摘し、その原因、背景として現代の高度資本主義の4つの特徴を挙げている。ひとつはグローバリゼーションによるリストラと産業再編、2つ目は情報通信技術の発達、つまりIT化、3つ目が大衆消費社会、4つ目が森岡教授は「フリーター資本主義」と名づけているが、雇用面の規制緩和と労働市場の流動化による非正規労働の増大と、それがもたらした正社員の長時間労働化だ。
 冒頭の郵政公社と黒ネコヤマトに話を戻すと、これは3点目の「大衆消費社会」そのもの。森岡教授は「コンビニや宅配便に象徴される、利便性を追求するサービス経済の発展は、情報化の進展とあいまって消費者の需要構造を変化させ、経済活動の24時間化をもたらし、働きすぎの新しい要因をつくりだしている」と指摘する。
 これもまた、小泉首相が声高に叫ぶ「改革」の果てのわたしたちの社会だ。企業は利益を求めて走り続けるしかない、足を止めたら負け。新しい「仕事」も創り出す。それが「ビジネス・チャンス」。でも、そこで働いている人間はどうなるだろうか。労働組合も現状をすべて受け入れてしまったら、労働者の健康はだれが守るのだろうか。「過労死」は自己責任になりかねない。実際のところ裁量労働、あるいはホワイトカラー・エグザンプションはそうした制度だ。

 新聞産業ではとりわけ編集部門、記者の世界に、伝統的に長時間労働がある。政治部や社会部では、担当によっては月間の超過勤務時間が恒常的に200時間を超えるなど、常軌を逸していると言っていい。記者の働き方の問題は、権力寄りと指摘される新聞ジャーナリズムの問題の本質にも深くかかわっていると思うのだが、なかなか改善されない。社会経済の構造的な変化ばかりではなく、「新聞記者とはそういうものだ」という職業意識もある。
 こうした「自己実現のための働きすぎ」に対しても、森岡教授は解答を用意している。それは雇用者、管理職が強権を発動して働かせないようにすることだ。つまり、労働基準法その他のルールを会社に守らせることだ。
 どこの新聞社も人員増は容易には認めない。会社はホンネでは、まず社員の一人ひとりを目一杯働かせようとする。編集の職場で言えば「記者魂を逆手に取られている」のが現状だと思う。しかし、新聞産業もIT化が進み、インターネット展開で24時間化が進んでいる。生身の人間の働き方としては、限界を超えているというのが実感だ。一人ひとりの働きが足りないのではなくて、記者の人数が足りないのだ。あるいは、仕事を増やしすぎてしまい、人間が追いつけなくなっている。せこい人件費抑制を許してはならない。簡単な話だが「健康でなくてはいい記事は書けない」はずだ。
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by news-worker | 2006-01-05 11:43 | 読書  

書評「ブログ・ジャーナリズム」

 c0070855_041815.jpgマスコミ業界の専門紙「文化通信」編集部から依頼を受け、同紙の新年特集の書評で、時事通信編集委員の湯川鶴章さん、北海道新聞記者の高田昌幸さん、元徳島新聞記者の藤代裕之さんの共著「ブログ・ジャーナリズム」野良舎刊、定価1500円)を担当した。
 実を言うと本は藤代さんから贈呈を受けていた。非常におもしろく、興味深く読ませていただいたので「ニュースワーカーで紹介しなければ」と思っていたところに、文化通信から依頼があった。どんなことを書いたかは、文化通信の発行を待っていただきたいが、湯川さん、高田さん、藤代さんの座談会で、今のマスメディアが抱える構造的な病理が多角的、多面的に浮かび上がっていることがこの本の真髄だと思う。
 湯川さんは新聞労連の産業研究学習会に講師として来ていただいたことがある。湯川さんのように、編集委員としてネット時代のマスメディアを専門にしている方がいる時事通信という組織に、実はあらためて驚いている。わたしも同じ「通信社」の名がつく組織に所属している(現在は休職中)けれども、湯川さんのような存在は望むべくもない。時事通信の度量の広さというか、湯川さんに社外での活発な活動を許していることも、わたしの所属組織と比較すれば特筆ものだ。
 高田さんは、北海道警の裏金問題を追及した北海道新聞の取材班を率いた。新聞労連の若手記者研修に講師として来ていただいたこともあるが、豊富な取材経験、現場経験から、本当にマスメディアの現状を憂慮されている。わたしとは同年代で、フィールドは違うものの同じ時代を記者として過ごしている。高田さんと話していると、わたし自身、彼の考え方と近いな、と感じるし、色々な発想も得られて刺激を受けている。
 藤代さんは新聞労連の青年部活動の経験もあり、労働組合運動の現状にも手厳しい。新聞産業から離れたのはある意味では残念だったけれども、彼は新聞(新聞社ではない)は好きだから、今後も外から色々と手厳しく言ってもらえるならば、新聞にとっては悪いことではない。新聞(あるいは新聞業界)の側で、それを受け止められるかどうかが問題だと思う。実はこのブログ「ニュース・ワーカー」も藤代さんに勧められて始めた。

 3人それぞれに今のマスメディアの内情に詳しいから、座談会の内容も濃い。ぜひ、購入して一読を。藤代さん、ありがとうございました。
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by news-worker | 2005-11-26 10:10 | 読書  

「ご臨終メディア」

 映像作家の森達也さんと作家森巣博さんの対談「ご臨終メディア」(集英社新書)を読んだ。内容は、とにかく読んでもらうのがいちばんだが、メディアの内部に身を置くわたしとしては、文中のひと言ひと言がグサリ、グサリと胸に突き刺さる思いがした。
 北海道新聞の高田昌幸さんや毎日新聞の磯野彰彦さんも指摘している通り、メディアの内側にいる人間の間でもこの本の受け止め方は、分かれるかもしれない。そして、わが身のことが書かれていると受け止められない人は、文字通り「ご臨終」だろう。
 メディア、中でも新聞、放送の人間には、ぜひ読んでもらいたい。そして、わが身のことと受け止められるかどうか、自身に問い掛けてみることをお奨めする。
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by news-worker | 2005-11-20 20:43 | 読書