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長崎での日韓交流

 MICの長崎フォーラムには、今月16日にソウルで日韓言論人シンポジウムをMICと共催する韓国言論労組の申鶴林委員長ら3人も参加してくれた。申委員長はフォーラムのあいさつでは、現在は休会に入っている6者協議を何としても成功させねばならないこと、そのために日本を含む関係国は最大限の支援をしてほしいと訴えた。
 また、韓国による北朝鮮への経済支援も報告した。一つは朝鮮半島東部の金剛山の観光開発。もう一つは板門店の北約15キロのケソンという町の工業団地造成。山が多い朝鮮半島で、この2カ所は軍事的にも重要な意味を持つ場所で、もし北朝鮮が韓国に武力侵攻しようとすれば必ず通らなければならないルートだという。その2カ所を北朝鮮が韓国に“開放”したことは、北朝鮮の対韓国政策を象徴している。この経済支援は2000年に金大中大統領がピョンヤンを訪問し、金正日と発表した共同宣言に基づく。
 申委員長らとは長崎滞在中の4日間、色々な話をした。1945年8月の日本の敗戦によって解放されながら、民族分断、そして朝鮮戦争へと進んだ一方、韓国国内では軍事政権の圧制が続いた。冷戦時代、南北それぞれの独裁政権にとっては、分断を固定化することがそれぞれの政権の維持にとってもっとも都合がよかったのだという。だから、朴大統領が射殺された後も、光州事件のように民主化運動は徹底的に弾圧され、多くの人々が殺された。南北統一を阻んでいるのは、実は自国の軍事政権と背後の米国であることに多くの韓国人は気付いていた。とりわけ統制された高校教育から大学に進んで、様々な情報に触れることができた学生たちが、激しい民主化運動に身を投じていったのだという。申委員長らの言葉の一つひとつからは、ようやく民主化を成し遂げ「次はいよいよ民族統一へ」との、静かだが固い決意のようなものがにじみ出ていた。
 「そのとき日本と日本人は何ができるのか」と考えさせられた。実は今、日本と日本人が学ばなければいけないのは、60年前の敗戦までに日本が朝鮮半島やアジア各地で何をしたのか、ということと同時に、あるいはそれ以上に、この戦後の60年間、朝鮮半島やアジアの人々がどんな時代を経験してきたのか、ということではないかと思う。
 朝鮮半島を例にとっても、1945年8月以降の出来事をどれだけの日本人が正確に理解しているだろうか。朝鮮戦争だって、多くの日本人には「朝鮮特需」の記憶と認識しかない。日本が復興を成し遂げたまさに同じ時代を、韓国の人々は民族分断と軍事政権の圧制のもとで過ごさなければならなかった。そして民族分断は、日本の朝鮮半島の植民地支配が遺した負の歴史の産物だ。
 こうした日韓の現代史を共有できれば、例えば6カ国協議の歴史的意義も見えてくるはずだ。19世紀半ば以降、朝鮮半島を中心において北東アジアで激しい争いの歴史を繰り広げてきた各国が一つのテーブルについているのだ。この100年、200年、あるいはそれ以上のこの地域の歴史を踏まえた会話がなければならない。日本が主張しなければならないのは、拉致問題とミサイル開発だけではないだろう。北朝鮮は確かにまともな国家ではない。しかし、確固とした歴史観があれば、日本と北朝鮮の2者関係だけで解決できるものには限界があることに気付くはずだ。南北統一という歴史的な課題と、日本はそのために何ができるのかを常に意識しながら、拉致問題や核・ミサイル開発など個々の課題の解決を探っていかなければならないと思う。
わたしたちはジャーナリズムを仕事にしている。長崎の最後の夜、わたしは申委員長らにこう話した。「歴史とジャーナリズムは本質は同じで、時間の軸が異なるだけだと思う。同時代を対象にしているのか、過去かの違いだ。わたしたちは100年後の歴史家の評価に耐えうるジャーナリズムを残していかなければならないと思う」。
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by news-worker | 2005-08-12 08:39 | メディア  

長崎で考えさせられたこと

 広島に続き、8月7日から10日まで長崎に出張した。わたしが議長を務める日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)と、地元の長崎マスコミ共闘会議の共催で8日に反核フォーラムを開催。9日は長崎市内に残る原爆被害の跡を歩いてめぐった。
 フォーラムのテーマは「被爆60年・平和とメディアの役割」。入市被爆者で長崎平和運動センター被爆連・事務局長の奥村英二さん、長崎新聞論説委員の高橋信雄さん、メディア論の桂敬一・立正大学教授をパネラーに迎えたパネルディスカッションは密度が濃かった。なかでも高橋さんの指摘にはハッとさせられた。地元紙として曲がりなりにも被爆者の声を伝え、核廃絶を求める市民の声を代弁してきたが、これまで伝えきれなかったものも大きい、という。本当に支援が必要だった被爆者が、自らの思いを語ろうにも語れないまま、沈黙するしかないまま、とうの昔に絶望のうちに皆死んでいった、との指摘だ。
 今でこそ、新聞も被爆者の被爆体験を積極的に発掘し紹介しているが、これは実は最近のことなのだという。戦後20年間、被爆者は自らの体験を口にすることができず、沈黙するしかなかった。なぜか。被爆者差別があったからだ。長崎という地域社会の中にすら、被爆者に対する差別があった。日本人はみな、戦争の被害者という立場では同じはずなのに、差別ゆえに被爆者は声を上げることができなかった。メディアもまったく動かなかった。被爆者は身体的な苦痛に加え、精神的にも苦しまなければならなかった。そして、絶望のうちに死んでいった。
 多くの被爆者がそうやって死んでいった、死んでいくしかなかったことに、メディアはようやく気付いた。被爆者たちが死んでいった、まさにその当時は気付いていなかった。そのことに高橋さんは「痛恨の思いがある」と語った。そして、同じ戦争の被害を受けた者同士の間に差別を生み出したのは何かを考え続けることが、地元メディアの責務だと話した。
 また、戦争体験の風化があるとすれば、それはジャーナリズムから始まるのではないかとも訴えた。常に、戦争体験を掘り起こし、社会に伝えていく努力をしていれば風化は起こりえない。風化が始まるとすれば、ジャーナリズムがその努力を怠るようになったときだという。記者は被爆者の被爆体験を追体験することはできないが、体験を掘り起こしていくことで、被爆者の気持ちに近づくことはできるはずであり、ジャーナリストは被爆者が亡くなった後に、現代の語り部の役を果たさなければならない、と訴えた。
 パネルディスカッションの真っ最中に参院で郵政法案が否決され、あれよあれよと衆院解散へと進んだ。桂教授は、衆院選で問われるべきは、被爆体験を含めた平和憲法と改憲の是非でならなければならないと指摘した。決して郵政法案ではないと。その通りだと思う。それが選挙の焦点となるかどうか、これから1カ月間のメディアの真価が問われる。
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by news-worker | 2005-08-11 18:29 | メディア  

重い気分

 4日(月)の夜、「公開シンポジウム・おかしいぞ!警察・検察・裁判所Ⅱ」にパネラーの1人として出演した。主催元で、新聞労連の活動でもお世話になっている篠田博之さんからの依頼だった。2日経ったが、今も少々、重い気分を引きずっている。
 シンポの第1部は、自衛隊官舎へのビラまきで逮捕された「立川テント村」メンバーら、公安警察の狙い撃ち捜査で逮捕された方々の報告、第2部がわたしも参加したパネルディスカッションで、テーマはこうした不当捜査や捜査機関の不正を、なぜメディアが追及できないか、だった。パネラーはほかに「週刊金曜日」の北村肇さん、「人権と報道・連絡会」の山口正紀さん、北海道警の裏金追及報道で知られる北海道新聞・前道警キャップの佐藤一さんら。
 わたしの役どころは、動こうとしない大手メディアの代表、というところか。紹介された肩書きは「共同通信社会部記者で新聞労連委員長」だった。「キレイごとばかりじゃ済まない」と分かってはいたが、他のパネラーがポンポンと発言する中で、わたしの歯切れの悪さは目立ったに違いない。
 まず各パネラーが問題提起として10分ずつ発言。わたしは①今は新聞社が「普通の会社」になりつつあり、経営姿勢が利益追求のみで、組織の中にジャーナリズムの議論がなくなっている②現場でも「何を書くべきか」「何を書いていないか」といった議論がなく、習い性のように従来型の報道が繰り返されている③その結果、多忙さもあいまって、個人として問題意識を持っている記者がますます声を上げにくくなっている-と話し、「それでも、わたし自身、職場ではデスクのひとりだが、現場から上がってきた原稿をボツにするまでは堕落していない。警察におもねって取材・報道をボツにしているわけではない。不正を事実としてつかんだなら、出稿、報道する。ただ、その取材の第一歩が現場でなかなか始まらない」と話した。また、警察裏金問題で道新や高知新聞、愛媛新聞などが実績を上げているのは、現場主導の問題提起があったからであり、それができない在京の大手メディアと比べるなら、読者・市民と記者との間の距離感が大きな要因かもしれない、とのわたしなりの考えも述べた。
 しかし、こうしたわたしの発言は、やはり「大手メディアに身を置く人間の身勝手さ」としか受け取ってもらえなかったのかもしれない。会場には、警察の不正を内部告発した警察官や関係者、一水会の鈴木邦夫氏ら日常的に公安・捜査当局と緊張関係を持っている人たちもいて、順に発言していったのだが、いわゆる「ロス疑惑」の三浦和義氏からは「美浦さんは『メディアはそこまで堕落していない』と言われるが、わたしの事件が無罪で決着した後も、ただの一社も謝罪がない。わたしの事件は20年前に(報道が)始まったが、その後もメディアは冤罪づくりに加担し続けている。わたしはメディアに絶望している」との痛切な一言があった。
 そうなのだ。まったく、その通りなのだ。犯罪報道が以前に比べれば改善されたのは事実だ。だが、それはメディアの内部事情でしかない。市民から見れば、依然としてメディアは人権侵害を続けていることに変わりはない。だから、現状をどう変えていくのか、今何が必要なのか、ということも話したかった。
 しかし、パネルディスカッションの全体を通じて、議論はいかに大手メディアの記者がだらしないか、権力に弱いか、ということが中心だった。気分が重かった。最後に、山口正紀さんが、新聞労連の若手記者研修活動(山口さんには長年にわたって事務局を支援していただいている)を例に「それでも若い記者たちの中には、志を持ってがんばっている記者がいる。彼らを応援していきたい」と引き取ってくれたのが、慰めになった。
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by news-worker | 2005-07-06 09:32 | メディア  

サマワで自衛隊襲撃

 定期大会の議案書書きに追われていたら、ドキッとするニュースが飛び込んできた。23日に発生したサマワの陸自車列に対する爆弾攻撃。フロントガラスにひびが入った程度だから、爆弾の威力はさほどではなかったかもしれない。しかし、これまでの宿営地に対するロケット弾攻撃などに比べると、宿営地外で移動中に直接、攻撃を受けたことは、加害の意思がより明確だといえる。
 新聞各紙の24日付朝刊の紙面では、自社の記者が現場を直接、取材できないことのもどかしさが伝わってくる。戦場取材は常に「安全」と「取材対象への肉迫」がせめぎ合う。
 しかし、24日の夕刊はもう少しひねった紙面展開ができないものか。関連記事の薄さが目立つ。社会部や政治部が「非戦闘地域」論議をもう一度おさらいしてもいい。政府解釈では単に銃撃戦があっても、それは「戦闘」ではない。相手が「国家」ないしはそれに準じる集団でなければ、「戦闘」とは認めないことになっている。こんなおかしな理屈は、繰り返し検証の対象にしてもいい。おかしな理屈、おかしな見解の積み重ねで、自衛隊は「軍隊」ではないし、憲法違反でもない、という解釈改憲がここまできてしまっている。
 米軍は航空管制の世界では、空自機を「ジャパニーズ・エア・フォース」、海自機は「ジャパニーズ・ネイビー」と呼んでいると聞いたことがある。よほど分かりやすいではないか。
 ちなみに空自は正確に言うと「ジャパン・エア・セルフ・ディフェンス・フォース」、海自は「ジャパン・マリタイム・セルフ・ディフェンス・フォース」。まどろっこしいのも確かだが。
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by news-worker | 2005-06-24 19:26 | メディア  

琉球新報の「沖縄戦新聞」

 23日は「沖縄慰霊の日」。60年前の6月23日、沖縄では米軍に対する日本軍の組織的な戦闘が終結したとされる。沖縄の地元紙「琉球新報」は、この沖縄戦を当時の報道のスタイルで紹介する取り組みを昨年から続けている。(一部は同社HPで紹介)
 取材班の方々のお話を聞く機会があったが、沖縄でも若い世代の間に戦争体験を引き継ぐのが難しくなってきている、との危機感から出発したという。紙面を貫くコンセプトは「住民史観」。軍や政府の視点ではなく、否応なく戦争に巻き込まれ、犠牲になっていった住民の側の視点だ。
 軍隊の目的は戦争に勝つこと。市民を守ることではない。戦争と住民保護は相反する。
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by news-worker | 2005-06-23 08:54 | メディア  

サマワ取材中止

 少し古い話になるが、4月19日付の朝刊各紙はライブドアとフジテレビの和解のニュースを大展開。その陰に、まさに隠れるようにひっそりと「防衛庁が報道各社のサマワ取材を中止」の記事が載った。週末に防衛記者会(防衛庁の記者クラブ)加盟の新聞、通信、放送各社の記者がクウェートから自衛隊機でイラク入りし、サマワの陸自宿営地に滞在して派遣部隊の活動を取材する計画だったが、防衛庁側が「不測の事態を否定できない」として中止を決めた、というのが概要だ。
 イラクへの自衛隊派遣とその報道をめぐっては、昨年1月に先遣隊が現地入りした当初からさまざまな問題があり、結果として、現在はサマワに日本メディアの日本人記者は不在の状態が続いている。そのこと自体が、「知る権利」に奉仕するメディアの怠慢だとして批判も出ている。
 今回、予定されていた取材はいわゆる「従軍方式」に当たる。その是非は、わたしには明快な結論が出せない。取材のあり方としてメリット、デメリットがそれぞれあるからだ。強いて言えば、「従軍方式」であろうと積極的意義を見出したいと考える。
 最大のメリットは取材者の安全を一定程度、確保しながら、曲がりなりにも現地派遣部隊を直接、取材できることだ。その裏返しだが、防衛庁、自衛隊から種々の制約を受け、自由な取材が担保されないことが最大のデメリットになる。
 サマワに自社記者を派遣していない現状で、新聞、通信、放送各社は、イラク人の契約記者からの情報で報道をつないでいる。しかし、その方法では、自衛隊派遣部隊の動向は本当のところは分からない。各メディアとも、東京の防衛庁取材にも力を入れているが、それで本当にイラクの自衛隊派遣部隊の実像に迫れるかというと、限界があるだろう。防衛庁の「大本営発表」に便乗しているだけではないのか、という批判には答えきれない。
 しかし、イラクの現状、すなわち外国人であるというだけで拉致、殺害されかねない実情を考えると、メディアが取材者の安全を自力で100%確保しつつ、サマワで取材を展開することも困難だ。メディア企業の労働組合のスタンスとしても、危険地域で組合員である記者が取材を展開することに対しては、慎重に考えざるを得ない。
 可能ならば、メディアが自衛隊の保護下に入らずに、自由な取材をサマワで展開できればベストだ。しかしそれが叶わない以上、次善の策として、自衛隊の保護下で取材することも致し方ないと思う。イラクへの自衛隊派遣が違憲かどうかを論じることとは異質の話であり、そこに自衛隊がいる限り、日本のメディアは直接取材を第一に考えなければいけないからだ。「従軍方式」でもいい。自衛隊宿営地の様子、サマワ市内の様子を肌で感じるだけも、大本営発表をそのまま報道することに比べればましだ。
 もう一つの問題は、今回の取材中止の経緯がはっきりしていないことだ。そもそも、そうした取材が計画されていたこと自体、中止になって初めて報道された。事前に報道がなかった、あるいは報道できなかったことは、取材者の安全の見地から理解できる。わたしが当事者でも、そうしたと思う。しかし、経験から言えば、陸上自衛隊の制服組の現場は、イラク派遣に関しては一貫して積極広報のスタンスだ。取材中止の背景として、サマワの治安維持に当たるオーストラリア軍が展開の真っ最中の時期と重なる、などの釈明がされているが、陸自の現場とは異なる思惑が、防衛庁背広組ないしは首相官邸になかったかどうか。検証作業の紙面化がなければ、「今回の取材計画は防衛庁当局の情報操作に乗っかっていただけ」との批判に、メディア、報道各社は抗しきれない。
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by news-worker | 2005-04-24 22:31 | メディア  

日韓のメディア労組交流

15日から17日までソウルに出張した。新聞労連が民放労連や出版労連などメディア関連労組とつくっている日本マスコミ文化情報労組会議(略称MIC)という団体がある。ことし8月、MICが韓国の全国言論労組(略称NUM)と共同で、日本にとっては戦後60年、韓国にとっては解放60年になるのを記念したシンポジウムをソウルで開催するための打ち合わせが用件だった。
NUMは韓国の新聞、放送、出版などの産業で働く人たちの労働組合だが、日本と大きく異なるのは、企業別組合の連合体ではなく、個々人が所属企業の違いを超えて直接、個人として加盟する一つの組合であることだ。所属企業ごとに分会・支部を持つ構成となっている。NUMの委員長は組合員の代表として、個々の企業経営者と直接、交渉することもある。また、新聞の販売適正化のために、NUMとして政党に政策提言をすることもある。日本のメディア労組ではちょっと考えられない。
 興味深いのは、韓国の3大新聞と呼ばれ、保守的な論調と指摘されることが多い東亜日報、中央日報、朝鮮日報の3社の組合員たちが、NUMに参加していない点だ。韓国のマスコミ各社も以前はみな、日本と同じように企業別組合だった。数年前、既存の組織を再編してNUMが発足したが、3大紙の労組は参加せず、今も企業別組合にとどまっている。
 さて、8月のシンポの打ち合わせは順調だった。
 島根県の「竹島(韓国での呼び名は独島)の日条例」制定に直接の端を発する外交紛争にみられるように、日韓の真の和解はいまだに成っていない。その和解に向けて、メディアとジャーナリストが今、何をしなければならないかをテーマにすることで合意した。MICからは「つくる会」教科書の問題や、小泉首相の靖国参拝などの問題を糸口に問題提起したいと提案した。NUMからは、拉致問題などを切り口に、北朝鮮報道の日韓の違いを取り上げたいとの提案があった。MICとNUMの交流は、新聞労連が先鞭をつけたころから数えて10年の交流があり、信頼関係は厚い。実りの多いシンポになると思う。
c0070855_18572340.jpg日韓の和解に向けてメディアが果たす役割は、突き詰めるならば日韓それぞれの市民が何を考えているかを、相互に伝え合うことにあると思う。双方の市民レベルの交流と相互理解が、政治をも動かすのではないか。
 3日間の滞在中、ソウルでも中国での反日デモや領事館、日系商店への襲撃は大きな話題だった。しかし、ソウルでは日本語を話しながら街を歩いていても、反発的な空気は感じなかった。NUMの人たちは「政治レベルは別として、一般市民の間に反日感情が高まることはない」と話していた。政治がどうあれ、真の相互理解は市民の相互理解からであり、メディアが果たす役割は大きい。
(写真はソウル支庁。その後ろのビルがNUM事務局がある韓国プレスセンター)
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by news-worker | 2005-04-18 17:10 | メディア  

学生が感じた“社風”

 新聞労連の集会や行事を手伝ってくれた学生たちの作文をゼミ形式で添削している。先週の土曜日の午後、3回目のゼミを開いた。大手マスコミは入社選考シーズンまっさかり。学生たちも必死だが、面接などを通じた彼らなりの各社評価がおもしろかった。
 ある大手新聞社は尊大。面接日時の連絡の電話でも、一方的に用件を告げ、こっちの都合など聞こうともしない。筆記試験では、監督係の社員が携帯電話でメールを打っていたという。
 この新聞のライバルを自認する別の大手新聞社は、面接担当者がやたらに恐い。最後に「質問があれば何でも聞いて」と言うので、学生が「最近、新聞記者のブログが増えていますが、御社は自社の記者が社外で意思表示することにどう対応しますか」と聞いたところ、まず、この担当者は「ブログ? なに、それ」「『ガ島通信』? 知らないなあ」。概要を学生が説明すると「我が社としては、社外で記者が意思表示することは認めないでしょう」との答えだったという。
 政治との距離が問われている公共放送は、意外だが評判がいい。応対がとてもていねいで、「ここで働きたい」と思わせる雰囲気があるという。
 “教え子”のうち、「最終選考に残りました」と嬉しい報告をしてきた学生もいる。作文ゼミでは、新聞のいいところ、悪いところ、記者の働き方、すべてを話した。それでも皆、新聞記者をやりがいのある仕事と感じている。共通しているのは、隠れている問題を自らの手で掘り起こし、社会に届けたい、という思いだ。彼らの「熱さ」に触れて、わたし自身、あらためて初心を思い起こしている。彼らの健闘を願っている。
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by news-worker | 2005-04-13 11:45 | メディア  

新入組合員との会話

 出身元の労働組合から声が掛かり、新入組合員歓迎パーティーに顔を出した。新人の1人と話したときのこと。「組合のハチマキ締めてみる?」「いや、そういうのだめなんです」。「腕章もあるよ」「いや、だめなんです。赤い旗も」。年代を問わず、昔ながらの労組スタイルが組合員に敬遠されているのは、どこの労組でも変わりないだろう。「どんな格好だったら『参加してもいい』と思うのかな」「いや、上から命令とか指示とか、動員されるのは嫌なんです。組合費払うのはいいんですけど。命令は嫌なんです」。「でも、仕事では上から命令や指示が来るよ。『夜回りしろ』とか『張り込みやれ』とか」「あ、そういうのは大丈夫です。ちゃんとやりますから」。
 正直に言って、少なからず驚いてしまった。彼が言ったことというのは、業務は指揮系統の指示に従う、つまり会社の言うことはきくが、労働組合はその限りではないということだ。わたしが驚いたのは、労働組合云々というよりも、彼が「会社」には従順に従うという姿勢をあまりにも屈託なく示したことだ。
 わたしだって20数年前の新人時代を振り返れば、最初から労組委員長を目指していたわけじゃない。「特ダネを書きたい」とか「敏腕記者と呼ばれたい」とか、ささやかな野望はあった。今から思えば、会社に認められたいということだったのだが、それでも当時は自分なりに反骨精神を持っているつもりだった。就職したばかりのわたしの頭の中では、「新聞記者=反骨、反権力」の図式があり、反骨精神が向けられるべき対象は会社も例外ではないと考えていた。会社や上司に従順であるという姿勢を人前で示すのは恥ずかしいことだと、漠然とながら思っていた。周囲の同期入社の記者や、配属先で一緒だった他社の同年次の記者たちも同じだったと思う。
 「時代は変わった」と小さくまとめるつもりはないし、「じゃあ20何年たって、おまえは新聞記者として何をしてきたか」と問われれば、非常に心もとない。しかし、新聞のジャーナリズムが新聞社という組織の問題を抜きにしては論じられない現状に鑑みれば、前述の新人君の言葉には少なからず不安を覚える(もしかしたら、仕事は一生懸命にやりたいということを言いたかっただけなのかもしれないが)。
 新聞と新聞記者について考えていることは、おいおい書いていきたいが、まずは先輩たちが実際に言動を示すことが必要と思う。とりわけ、わたしたちデスク世代に。なぜならば、わたしたちはまだ現場に軸足を残しているし、上の人たちが何を考え、やっているかも見えている。30代や50代とは違う責任が、わたしたち40代にはあると考えている。
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by news-worker | 2005-04-06 12:38 | メディア  

なぜブログ?

 しばらく前からブログをやってみようと思っていた。労働組合や職場で今のメディア事情を考えたとき、一人ひとりの記者があまりにも企業ごとの縦割り意識に縛られていると感じていた。わたし自身も含めてだ。
 例えばメディアスクラムの問題がある。事件事故の被害者取材は、だれだって気が重いし、やりたくない。しかし「A社がやってるのになぜウチは取材しないのだ」という議論には、組織の論理ではなかなか反論しにくい。メディアスクラムは以前に比べると、随分と改善されたことは事実だが、そうした取材が相当な社会的な批判を浴びてやっと、というのが真相だろう。1社だけ、1つのメディアだけが独自の判断で独自の行動に出るのはまだまだ難しい。
 もっと記者が「個」を取り戻せないものか。「この取材はおかしい」あるいは逆に「こうしたことを書くべきだ」と、どうやったら記者個々人が自由に発言できるか。そのことを考える上で、個人が直接、社会や市民と向き合うブログは大きな可能性を持っていると思う。
 ましてや労働組合は本来、企業内にあっても企業とは独立の組織として、組合員一人ひとりの自由な発言を担保する後ろ支えでなければならない。企業のしがらみから解放されているはずの労組専従の身である自分にとって、インターネットという公共空間で直接、自分自身の責任でメディアやジャーナリズムについて発言することは、なかば義務でもあると感じている。
 現役の新聞人のブログは、北海道新聞の高田昌幸さんらが既に実名で精力的な活動をなさっている。また、先ごろ地方紙を退職された藤代裕之さんの「ガ島通信」にもこれまで、いろいろなことを考えさせられてきた。わたしはお二人と新聞労連の活動を通じて直接お会いし、大きな刺激を受けてきた。遅ればせながら、わたしも参加したい。
 このブログから発信するのはあくまでもわたし個人の見解だが、同時に労働組合委員長であり、休職中とはいえ企業人でもある。おのずから限界はあるだろうが、ささやかでも、メディア、中でも新聞の未来を探るわたし自身のチャレンジと位置付けたい。皆さん、よろしくお願いします。
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by news-worker | 2005-04-04 17:33 | メディア