カテゴリ:身辺雑事( 29 )

 

宮古島に滞在中

きのうから沖縄・宮古島に来ている。軍事利用化が取り沙汰されている下地島空港も見て来た。
ネット環境が周りにないので、詳しい報告は帰京後に。
[PR]

by news-worker | 2006-05-21 16:50 | 身辺雑事  

今しばらくお時間をいただきたい

 16日の日曜日から来週火曜日の25日まで、出張や行事の予定がびっしりつながってしまった。その後も、ゴールデンウイーク中に書記局の引越しを控えたりして、慌しい日々が当分の間、続きそうだ。
 新聞特殊指定に触れたエントリーにトラックバックをいただいており、指摘を受けていることに対してきちんと説明したいのだが、今のところ、長文のエントリーを書く余裕がない。今しばらく、お時間をいただきたい。
[PR]

by news-worker | 2006-04-18 23:51 | 身辺雑事  

だれもが通ってきた道

 昨年、新聞労連の「就職フォーラム」を経て、今春、新聞社や放送局に入社した新人たちから、ぽつぽつと「配属先が決まりました」との連絡が入ってきている。早く現場に出て働きたい、と希望に燃えているさまが伝わってくる。
 振り返れば、わたしもそうだった。いかに自分が知らないことが、この社会にはたくさんあるか。一つでも、ふたつでも、自分自身の手で社会に伝えていきたい…。
 そしてまた、20数年の自分の記者生活を振り返ってみる。いったい、いかほどの仕事を自分はしてきたのかと。来年の今ごろは、自分は何をしているのだろうかと。気が付けば40代半ば。「人生の残り時間」などという言葉が頭に浮かんだりする。
 記者の仕事はどこまで行っても、「人と会う」こと。「人の話を聞く」こと。記者生活は始まったばかり。たくさん人に会い、たくさんのことを知ってほしい。それを伝えてほしい。人との出会いを大切にしてほしい。一生の付き合いになる人もいるはずだ。

 かたや今、新聞記者を目指して就職活動真っ只中の学生たちからも便りが来る。焦ることはない。今、君たちが感じている不安な気持ちは、わたしを含めて先輩たちがみな抱いてきたことだ。じっくり行こう。
[PR]

by news-worker | 2006-04-16 23:16 | 身辺雑事  

ブログ開始1年~実名で運営するルールなど

 書こうと思いながら随分と時間が経ってしまったテーマがある。経済産業省消費経済部長の谷みどりさんが、2月1日に個人で開設したブログが、3週間後に閉鎖した問題だ。電気用品安全法(PSE法)を取り上げたエントリーによって「炎上」したことが理由だと指摘されている。省内でも、勤務時間中のブログ更新が国家公務員法の職務専念義務違反に当たるとして、注意を受けたという。この件については朝日新聞記事が詳しく紹介している。
 遅まきながらも、この件について書こうと思ったのは、このブログ「ニュース・ワーカー」が昨年の4月4日に運営を開始してちょうど1年を迎えたからだ。谷さんのブログのことは、閉鎖が話題になるまでわたしは全く知らなかったが、組織人が実名で、個人の立場と言いながら組織のことにも言及するという点では、共通点がある。

続きを読む
[PR]

by news-worker | 2006-04-04 01:20 | 身辺雑事  

「RTCカンファレンスvol9『ライブドア事件とこれから』」に出席

 昨日(1月31日)は新聞労連の中央執行委員会、きょう(2月1日)と明日は新聞労連の春闘方針を決める臨時大会と会議が続いている。その合間の1日夜、「ガ島通信」の藤代裕之さん経由の招きを受け、勉強会「RTCカンファレンスvol9『ライブドア事件とこれから』」に出席した。司法記者経験をもとに、東京地検特捜部とは何ぞや、を話すのが役どころ。先日のエントリーが藤代さんに受けたらしい。元地方紙記者で社会部経験がある藤代さんとの掛け合いで、検察や東京地検特捜部について、思うところを話した。
 会場には50人ぐらいの参加者がいただろうか。皆さん仕事はそれぞれ違う。何人かの方々とは終了後に名刺交換させていただき、さらに何人かの方々とは居酒屋へ流れたが、恐らくこのような機会がなければできない話、聞けない話ばかりで、とても楽しい経験だった。
 あらためて思うのだが、人にはだれしも専門分野がある。わたしで言えば、23年間の新聞記者経験と、若干の労働組合経験かもしれない。新聞の世界、労組の世界では珍しくも何ともないのだが、ネットの世界、ブログの世界では、その専門性が生きる余地が広く開けている。勉強会の参加者の皆さんも、わたしの話を熱心に聞いていただいた。それぞれの専門性がかみ合っていけば、ネットジャーナリズムはどんどん進歩すると思う。
 こうした経験を新聞記者ももっと積む場があればいいな、と思う。「読者とともに歩む新聞」とよく一口に言うけれども、実は「読者」「市民」と記者が直接交流する機会は極めて少ない。
[PR]

by news-worker | 2006-02-02 01:42 | 身辺雑事  

雪の東京に無事帰着

 18日からの3泊4日の出張を終え、きょうの午後、徳島から帰京した。羽田空港は雪。おかげで飛行機も30分ほど遅れた。
 18日は島根県松江市で新聞労連の中国地連、四国地連合同の春闘討論集会に参加。新聞労連執行部が2月1、2両日の臨時大会に提案する春闘方針案を説明した。
 19日は朝、松江を出て空路東京へ。羽田からそのまま東京駅に向かい、新幹線で栃木県宇都宮市へ。今度は新聞労連の関東地連、東京地連合同の常任委員会に出席した。夜は時事通信編集委員の湯川鶴章さんをお招きしてネット時代の新聞を考える講演会。湯川さんのお話はナマで聞くと、語り口に親しみやすさがあってブログとはまた違ったおもしろさがある。印象的だったのはやはり「新聞とネットは別物」との指摘。「紙の新聞をどうするか、という視点で新聞社がネットに取り組もうとするとうまくいかない。紙の新聞とはまったく別のビジネスチャンスがネットにはある」。湯川さんのブログで読んではいたが、すっきりと頭に入った気がしている。
 20日朝は、印刷部門の別会社化・社員転籍計画に反対する栃木県の地元紙「下野新聞」の全下野新聞労働組合を支援する街頭行動と社前抗議集会。わたし自身、3回目となる街頭のビラまきだった。そういえば昨年9月、最初に宇都宮の街頭にビラまきに立ったときは、まだ夏服だった。冷え込みは厳しかったが、ビラまきやシュプレヒコールにみんなで元気よく声を出した。
 年末年始を挟んでも、全下野労組の皆さんの会社への怒りは持続している。全下野労組が宇都宮地裁に行った計画差し止めの仮処分申請に対する地裁の判断は、今月中に示される見通し。闘争は間もなく新たな段階を迎える。
 20日午後、宇都宮を発ち再び東京駅から羽田へ。新聞労連の役員推薦活動で徳島に飛んだ。21日朝、徳島を出て帰京した。

 出張中にもライブドア捜査の続報、米国からの輸入牛肉への特定危険部位残留と全面輸入停止措置など、大きなニュースが続いた。連日、異なった地方紙でそれらのニュースを読むというちょっと変わった体験をした。思うところは色々あるのだが、少々疲れ気味。別の機会に譲りたい。
[PR]

by news-worker | 2006-01-21 20:27 | 身辺雑事  

週末まで移動中

昨日18日から出張中。新聞労連の各地方ブロック組織が開催する春闘対策会議を回る。今日は松江から宇都宮に移動。明日は宇都宮から徳島に向かい、20日に帰京の予定。このブログの更新は週末までお休みします。
[PR]

by news-worker | 2006-01-19 15:08 | 身辺雑事  

「ニコンがフィルムカメラから撤退」に感慨

 ニコンがフィルムカメラから撤退し、デジカメに特化するとのニュースに接して感慨を抱く。
 わたしが記者になったのは1983年。当時、取材現場では写真は白黒フィルムで、新聞紙面もまだカラー印刷は珍しかった。記者職の新入社員の研修では、写真取材の時間が長かった。写真部のデスクが先生。生徒の方は、写真部採用のカメラマンは別として、ほとんどはカメラといえば「押せば写る」コンパクトカメラしか手にした事がない、というレベルだったと思う。なぜ写真は写るのか、といった原理の話からシャッタースピードと絞りの関係など、理屈を一通りレクチャーしてもらったら、あとはひたすら実技。会社の写真部はもっぱらニコン製品を使っていた。新人記者たちは一眼レフカメラを手に、まずは室内での模擬インタビュー写真。暗室でフィルムを現像してネガをつくり、印画紙に焼き付けてプリント。初めての経験だったが、とにかくおもしろかった。
 1カ月近い研修の終わりごろ、カメラを手に街に出た。お題は「きょうという日の一枚」だったと思う。霞が関の官庁街で桜が散る様子が「まるで吹雪のよう」と写真説明を付けて提出したら、それまで絶対に新人記者たちを褒めなかった写真部デスクから「なかなか筋がいい」と言われ、嬉しかったのを覚えている。
c0070855_030196.jpg
 やがて配属先も決まり、そろそろ研修も終わりというころ、ニコンの営業担当者が会社に来て、そこで当時の最高モデル「F3」をローンで買った。「PROFESSIONAL」のロゴが入った黒と黄色のニコンのストラップが付いていて、晴れがましい思いがした。初任地の青森では、米軍三沢基地取材で戦闘機の写真を撮るために、高速で連続撮影ができるモータードライブを買った。
 支局では暗室も粗末で、現像液や定着液も支局員がパック詰めの粉末薬を自分で水に溶いてつくる。大体、新人記者の仕事だった。青森支局では、冬場は薬品の温度管理に気を使った。薬品をいじった後は、手に酸っぱいにおいが付いて「寿司を握ったみたいだ」と先輩たちと笑い合った。
 記憶をたぐってみるが、写真処理はまずフィルム現像に10分程度。ついでネガを乾かし、焼付けにやっぱり10分くらいはかかったと思う。定着液に付ける時間が短いと、出来上がった写真は黒ずんだ。印画紙を乾かして、電送機に装着するまでにやっぱり5分から10分くらいはかかったか。電送は5分くらいだった。電送機は回転ドラム型。ファクスと原理は同じと聞いていた。白黒写真の白と黒の濃淡を電気信号に換えて送ったらしい。
 支局には専門のカメラマンはいなかったから、急ぎの写真が必要な場合は記者2人で取材現場に行った。1人は写真に専念し、撮影が終わったら大急ぎで支局に戻り、手を酸っぱくしながら処理をした。
 あのころは、どこに行くにもバッグの中にはニコンF3と筆記用具と公衆電話からの連絡用の10円玉(いつも20枚くらいは持っていた)が入っていた。少し気取って言えば、F3のファインダーから「時代の現場」をのぞいていた。

 月日が経って、今は取材現場もデジカメに変わっている。写真もデータとしてパソコンから送信する。記者が持ち歩くのはデジカメにパソコン、携帯電話。確かに便利になったが、以前のように現場に記者2人で行って1人は写真に専念、などということはもう許されない。1人で話を聞いて記事にまとめ、1人で写真を撮ってパソコンから送らなければならない。写真を送っている間にもデスクから記事の問い合わせなど連絡が来るから、場合によっては携帯電話は2台必要。パソコンのバッテリーの予備や担当している分野の取材資料なんかも持ち歩く。わたしがデスクで勤務していた支局に配属された新人記者は、毎日ショルダーバッグを2つ下げて歩き回っていた。
 記者の装備が変わっていくのにつれて、支局1カ所あたりの配置記者の数も減らされた。つまり編集職場の合理化だ。そのことの問題点は、別の機会に書きたい。

 いつからか、わたしのカメラもF3からオートフォーカスのコンパクトカメラに変わり、今は手のひらに収まるくらいのデジカメに変わっている。晴れの日の記念写真はF3で撮ったりしていたが、今はそれもない。
[PR]

by news-worker | 2006-01-15 00:37 | 身辺雑事  

もはや戦前ではないか

 ことしは「戦後60年」だった。わたしは1960年の生まれだから、日本の敗戦から15年後に生まれたことになる。子どものころを思い返せば、もの心がついたころには家にテレビがあり、小学校のころには、我が家にはなかったけれども大抵の家には自家用車もあり、飢えた経験もなかった。1970年は大阪万博が今も強烈に印象に残る。「70年安保」や「よど号ハイジャック事件」があって、世相も恐らくは激動していたのだろうが、「高度成長」に首までどっぷりつかっていた子どもたちには、漠然と「世の中は明るい」という気持ちしかなかったように思う。中学、高校と進んでも、自分の未来と「さて何になろうか」と自分の可能性を信じることができていた。ちなみに大学受験では、その後の「センター試験」となる「共通一次試験」の第一期生となった。
 長じてこの20数年間は、新聞記者という職に就いてきた。この1年間は、初めてその立場を離れた1年だった。所属メディア組織からも少し距離を置き、労働組合専従役員という運動者の視点で日本の社会と向き合ったとき、痛切に感じるのは「もはや戦前ではないか」ということだ。

続きを読む
[PR]

by news-worker | 2005-12-31 11:29 | 身辺雑事  

日々の働き方など

 春闘方針案も何とか書き上げ、この週末はカレンダー通りの3連休で、久々にまとまった休み。だが、自宅に持ち帰りの仕事がいくつかある。職場の長時間労働も問題だが、長時間〝労働運動〟ではシャレにもならない。
 新聞労連委員長の日常の働きぶりを少しご紹介すると、そもそも委員長の勤務規定はあるのかないのかよく分からない。書記局(=事務所)の営業時間の目安は午前10時-午後6時だが、午後8時までは書記さん(事務局員)が毎日交代で1人、夜勤で残っている。けっこう夜になっても、加盟組合から相談事や資料提供の依頼などがあるからだ。
 書記さんたちには休日管理もちゃんとやってもらい、土日出勤の場合は平日に代休をとってもらっているが、委員長は基本的に完全な「裁量労働」。朝は書記さんたちよりも少し遅めの出勤で勘弁してもらっているが、夜は会議があれば、その後の「軽く一杯」も含めて、しばしば終電での帰宅となる。労組専従でもなければ、労働組合の会議は仕事が終わった後ということになるから、どうしても夜が多い。
 土日も会議や集会があれば出勤。本当は平日に休みを取りたいのだが、平日は平日で何やかやと予定が入り、ほとんど休めない。出張も多く、ざっと年間100日は東京を離れている。
 仕事は増やそうと思えばいくらでも増えてしまう。他産業の労組からも原稿を頼まれたり、学習会の講師を頼まれたりする。そうしたことも新聞労連委員長の職責と考えているので、日程が合う限りは受けるようにしている。
 よく「忙しくて大変でしょう」と同情されるが、それほど「きつい」とは感じていない。職場にいるときは、どうかすると週に1回は泊まり勤務(せいぜい仮眠2時間)が回ってきたし、自分の担当分野が忙しくなると、会社の近くのホテルに泊まったりしていた。今は、出張の時を除けば家に帰れる。新聞の仕事は深夜勤務がもともと宿命なのだが、やはり朝、家を出て夜は家に帰るのが人間の働き方の基本だと思う。
[PR]

by news-worker | 2005-12-23 21:02 | 身辺雑事