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日米軍事一体化と憲法

 沖縄の米海兵隊・普天間基地の移転先が名護市・辺野古折衷案で決着、米海軍が神奈川県・横須賀基地に原子力空母を配備、自民党が新憲法草案の最終案を決定、在日米軍の再編で日米が中間報告と、先週は軍事がらみの大きなニュースが相次いだ。ひと言で言って、後戻りできないところへズルズルと向かっているのではないかと危機感を深めている。
 これらのニュースはみな、米国が世界中どこでも好きなときに好きな所で軍事行動を起こすための動きだ。それぞれに書いておきたいことは山のようにある。
 在日米軍再編では「沖縄の負担軽減」がクローズアップされた。中でも海兵隊の7000人グアム移駐は、目玉としてさかんに宣伝されている。また、嘉手納基地のF15戦闘機部隊の訓練も、一部を本土の航空自衛隊の各基地で分散して行う。それだけを聞けば、確かに沖縄の基地負担の軽減につながるかのように聞こえる。しかし、実態は違う。
 米軍は「9・11」の同時多発テロ後、世界戦略を練り直し、いついかなる事態にも軍事的に対応できるように、世界的規模で再編を進めている。今回の在日米軍の再編もその流れであり、米国は「沖縄の負担軽減」のために在日米軍を見直しているのではない。米国にとっては、いざというときに部隊をいかに迅速に動かせるかが最大の関心で、それさえ担保できれば日本政府が政治的宣伝で何を言おうが、「沖縄の負担軽減」をいくらアピールしようがどうでもいいことだ。
 海兵隊の移駐で言えば、グアムに移るのは司令部要員が中心で、引き続き沖縄には普天間基地の代替基地も含めて広大な海兵隊の基地が残り、実戦部隊がとどまる。米軍は全世界に強固な通信網を張り巡らせており、有事の際には、通信機能が維持されていれば司令部はどこにいようがまったく問題にならない。
 F15の訓練移転に至っては、実は米軍機が本土の自衛隊基地をわがもの顔で使用できるようになることが本質だ。20年も前になるが、記者になって振り出しの勤務地が青森だった。冷戦下で米軍三沢基地にF16戦闘機部隊が配備されたころだった。何が起きたかというと、東北中の空港にF16が「緊急着陸」と称して頻繁に着陸するようになった。実際に墜落事故も複数回、起こしている。米軍機が来るということは、そういうことだ。
 今回の再編には、神奈川県のキャンプ座間や東京の横田基地で、米軍と自衛隊が同居する計画も含まれている。それらを総合して言えるのは、日本全体がオキナワ化するということではないのか。米軍と自衛隊の一体化にほかならない。それが日本の安全保障として望ましい道だとは到底考えられない。
 この米軍再編と改憲問題は直接の関係がある。9条を変え、自衛隊を自衛軍とし、専守防衛から海外派遣へ主任務を拡大することは、ほかならぬ米国がいちばん望んでいることだからだ。逆に言えば、9条を現行のまま維持できれば、危ういところで最後の歯止めは確保できる。日本と日本人が戦争に加わることをギリギリのところで拒否できる。
 衆院選での自民圧勝もあり、在日米軍再編はおそらく計画通り進む。司法もあてにならない。これまでも米軍基地絡みの訴訟では、ことごとく「統治行為論」、つまり高度の政治判断に基づくもので司法判断にはなじまないとして逃げて来たからだ。
 しかし、改憲問題はまだ望みがある。憲法を変えるには国民投票を経なければならないからだ。今、現実に何が進行しているかに目を向ければ「現行憲法は時代遅れだから改正が必要」との主張がまやかしであることに多くの人が気付くと思う。在日米軍再編の中間報告と自民党の新憲法草案の最終案が、タイミングを合わせるかのように出てきたことは象徴的だ。
 わたし個人としては、多少、防衛関係の報道に関与した経験から、何よりも軍事情報の平易な報道がもっと必要だと思っている。報道の量、頻度もさることながら、「分かりやすさ」が必要だ。
 最後に、こうした軍事と改憲の動きとともに、いわゆる「ビラまき逮捕」事件の続発や共謀罪新設などが同時並行で進んでいることに深刻な危機感を抱いている。神奈川県では厚木基地の監視グループが、定点観測のポイントにしているマンションに、いつものように入ったところで「建造物侵入」の現行犯で逮捕される事件も起きている。報道する側にも危機感が必要だ。
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by news-worker | 2005-10-31 01:11 | 平和・憲法  

JR事故から半年

 きのう4月25日は、兵庫県尼崎市のJR西日本脱線事故から半年だった。この事故の報道をテーマに開催した新聞労連の記者研修会を紹介したエントリーに、事故列車に乗り合わせていた方からTBをいただいたのを機に、ネット上で「事故から半年」への様々な方の様々な思いを読んだ。
 わたしなりの思いを整理すると、報道にたずさわる者としての思いは、メディアは事故の原因と背景を粘り強く取材を続けなければならない、ということに尽きる。憶測混じりの報道はもういい。事実として何があったのか、だ。脱線のメカニズムはもちろん、何が事故を生んだのか。事故の原因と背景が解明されることによって、安全対策も進む。犠牲者の遺族や負傷者が負った心の傷に対してJR西日本ができるのは、事故を教訓とし、安全重視の経営を本当に確立することしかない。その監視を続けるのもメディアの責務のひとつだ。
 労働組合にたずさわっている立場からの思いもある。旧国鉄時代から、JRの歴史は分断労務政策の歴史と言える。経営方針に協調する、あるいは迎合する労組の組合員は優遇し、経営に批判的な労組は差別する。そんなことをやっていれば、労組の経営監視機能はなくなる。だれだって、職場に面倒なもめごとは起こしたくない。「おかしい」と思っても、言葉をのみこんでしまう。昇進や昇給に響くとなったら、なおさらだ。でも、だれもが「おかしい」と思うことをだれも言わなかったら職場はどうなるか。働く者の一人ひとりが、労働組合の存在意義を考えなければならない。
 最後に、生活者としての思いだ。7月に国労のシンポジウムに出席して発言したことでもあるが、スピード優先のJR西日本の経営方針は、社会が望んでいたことでもある。「スピード」は社会的な価値になっていた。「速ければ速いほどいい」ということだ。そこに「安全」の落とし穴があった。4月の事故で、多くの人がそこに気付いた。
 9月の衆院選では「改革」がキーワードになった。しかし、このまま「改革」が進んだら社会はどうなるか。小泉首相が「改革」と呼んだものの実体は、すべてを市場の競争原理に委ね、「強い者はより強く、弱い者はさらに弱く」の新自由主義だ。国鉄の分割民営化はその先行事例にほかならない。4月の事故を社会全体の教訓にしていくためには、今からでも遅くはない、「改革」を疑わなければならない。

追記・訂正
 書き出しで「きのう4月25日は」などと書いてしまった。「10月25日は」と訂正します。
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by news-worker | 2005-10-27 10:39 | 社会経済  

被害者の実名、匿名

 犯罪被害者らに対する国の基本計画の検討会の基本計画案に、事件発表で被害者の実名・匿名を警察が個別に判断していく方針が盛り込まれていることに対し、日本新聞協会は21日に反対の意見書を内閣府に提出した。要するに①被害者名は関連取材に欠かせない情報であり発表は実名でなければならない②被害者名を実名で報道するか匿名で報道するかは、警察発表とは全く別の話で、報道側が判断する-ということだ。
 社会部の職場にデスクとして身を置いていると、実名か匿名か、判断に悩むケースは日常的にある。どこの新聞社でも基本的なスタンスは「原則実名、例外として匿名」というところだろう。強姦事件の被害者など、匿名とする明確な基準を決めているケースもある。しかし、強姦殺人事件となると、強姦被害者の側面よりも殺人被害者の側面がクローズアップされ、実名原則が適用されるケースも出てくる。その場合は強姦の事実を強調しない、あるいは伏せてしまう書き方になる。
 新聞協会の意見書に話を戻すと、その主張は正論であることは違いない。わたし自身の考え方も近い。しかし、一般の市民からは支持を受けないだろうな、と思う。これまで、新聞やテレビの事件事故報道は「被害者不在」をずっと続けてきたからだ。そのことは、先日、新聞労連の若手記者研修会で聞いた、4月のJR西日本脱線事故で犠牲になった方の遺族の話を思い出しても痛感する。
 メディア界の中では、現場の記者たちの間で「被害者に寄り添う報道、メディア」を模索する活動も始まっているが、残念ながらメディアが組織として取り組んでいる動きではない。取材・報道の現場では今日も変わらず、当事者たちから見れば「無神経」としか言いようのない「原則は実名」の硬直的な思考のままの記事が送り出されている。
 今、メディアが考えなければいけないことは「実名か匿名かは報道側が決める」ということから一歩進んで、「実名か匿名かは、当事者の意向を踏まえて報道側が決める」を原則とすることではないか。実務上の経験から言えば、迷ったら匿名にすればいい。当事者の意向を確認した後に実名に切り替えることは容易だが、一度実名で報道したものを匿名に切り替えるのは難しいからだ。
 メディア、特に後々まで記録として残る紙メディアの新聞は、まず自己改革の議論を自ら組織内で始めなければならないと思う。若い記者が熱心に取材し、当事者の話もきちんと取材した上で匿名報道を主張するのに、デスクや編集幹部が「匿名にするケースには当たらない」と実名にしてしまうようなことは、もうやめなければならない。
 犯罪被害者らに対する国の基本計画の検討会は25日の会合で、新聞協会の意見書を受けて議論をしたけれども、ほぼ原案通り、実名か匿名か、発表は警察の判断に委ねると決めたと報道されている。やっぱりな、と思う。
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by news-worker | 2005-10-26 02:03 | メディア  

共謀罪・MICの反対声明

 先週のことになるけれども、わたしが議長を務めるMIC(日本マスコミ文化情報労組会議)も20日に「共謀罪に反対する声明」を発表した。
 共謀罪は特別国会では時間切れ、との見方も報道されているが、またあらためて同じモノが出てくるのでは意味がない。単に先送りになるだけだ。完全に断念させるには、世論の高まりが必要なのは言うまでもない。わたしたちも労働組合の立場から、共謀罪の新設反対を訴え続けていきたい。
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by news-worker | 2005-10-24 16:22 | 平和・憲法  

イカのきざみネギ醤油ソースかけ

 c0070855_191449100.jpg4年前まで共同通信の横浜支局に勤務していた。中華街にはよく通ったので、自信を持って薦められる店が何軒かある。そのうちの1店「酔仙」に、知り合いの家族を案内して久しぶりに行った。わたしの最高のお気に入りが、イカの切り身にたっぷりのきざみネギときざみ唐辛子を載せ、上から醤油ベースの熱いソースをかけた1品。思わず食べる方に夢中になってしまい、写真は半分くらい取り分けた後に撮ることになってしまった。イカは多分、さっと油通ししただけだと思うが、歯応えがいい。ソースはピーナッツオイルに醤油を合わせているのではないかと思う。
 ほかにもお奨めメニューが豊富。最後に焼きそばかチャーハンで迷ったなら、スライスした牛肉がごろごろ入った「牛肉焼きそば」を。細くて硬めの麺が、ほかでは味わえないおいしさ。何を食べてもうまいのだが、この店の唯一の難点は愛想のなさだ。
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by news-worker | 2005-10-23 19:15 | 食日記  

共謀罪

 この1週間ほど、共謀罪に反対する日弁連や市民団体の集会にお呼びがかかり、何回かわたしも発言した。
 共謀罪については、ここにきて新聞各紙の報道も増えてきているので詳しくは触れないが、要するに、犯罪の実行行為(未遂も含む)を処罰の対象とする現行の刑法体系の原則が変わり、実行以前の人間の精神の内面、つまり「犯罪行為をやろう」という意思そのものを処罰対象とすることになる。しかも法務省提出の関連法案では、組織犯罪対策としながら適用対象になる団体の範囲は示されていない。犯罪の範囲も明確ではなく、最高刑が懲役4年以上の犯罪に適用とされているだけ。そのまま当てはめると、600以上の罪名が該当する。
 もし、共謀罪が新設された場合、具体的にどういうことが起こるかというと、日弁連主催の集会で紹介されたシミュレーションが分かりやすい。例えば、業績が悪化している会社の経理担当役員や経理担当の社員の間でいったんは「経理帳簿の不正操作やむなし」と相談した。しかし、その後「やっぱりやめよう」となり、業績悪化を正直に公表したが、それでも共謀罪は成立してしまう。
 取締りの対象は「共謀」。その場にいた者しか知らないはずのことを摘発するには、密告を奨励する一方で、盗聴や盗撮、電子メールや信書の無断チェックを合法化するしかない。ジョージ・オーウェルの今では古典となった「1984年」そのままの監視社会の到来だろう。
 いくつか参加した反対集会は、共謀罪の危険性が多面的に理解でき、とても勉強になった。そもそもは、国際犯罪集団に対抗する国連の国際条約批准のための国内法の整備とされ、法務省は国際テロ集団対策を強調している。しかし、国連条約の対象はマフィアや国際窃盗団などの単純刑事犯だという(日本のヤクザも含まれるかもしれない)。明らかに趣旨がねじ曲げられている。
 共謀罪それ自体も危険だが、共謀罪新設の動きが今、この時代に進んでいることの意味は、さらに深刻だと思う。「言論・表現の自由」「知る権利」を脅かす出来事が立て続けに起きている「この時代」に、である。
 いわゆる「ビラまき逮捕事件」が続き、先日は神奈川県の厚木基地の監視グループが、いつも通りに基地を望むマンションの踊り場に上がったところで、建造物侵入容疑で神奈川県警に逮捕された。「いつも通り」の行動なのに、だ。メディアはそうした動きに必ずしも敏感ではなく、メディアによって温度差があると感じているが、そのメディアをめぐっても、有事法制への取り込み(国民保護法の指定公共機関化)や、国民投票法案や人権擁護法案に報道規制、メディア規制が含まれていることなど、「言論・表現の自由」「知る権利」は危機的状況にある。共謀罪新設の動きは、この流れの中でとらえる必要があると思う。その流れの先にあるのは憲法改悪であり、日本が再び海外に出て戦争をすることだ。
 国家の戦時体制の中では、情報統制は不可欠だ。そのことは60年前までの日本の社会を見れば明らかだし、湾岸戦争時や9・11以後のアフガン侵攻、イラク戦争では、米国メディアはいとも簡単に狂信的な愛国心を発揮した。
 日本は1931年に満州事変を引き起こし、1945年8月に国中が廃墟となって無条件降伏するまで、しゃにむに戦争国家として歩み続けたのだが、その間、国内では言論が封殺され、だれも自由にモノを言うことができなくなった。猛威を振るったのが悪名高い治安維持法だ。では、その治安維持法がいつごろできたかというと、1925年だ。いわゆる「15年戦争」が始まる6年も前だ。
 共謀罪に話を戻すと、大義名分は国際テロ組織でも国際犯罪組織でも変わりはない。本当は捜査機関の捜査力の問題のはずだ。捜査力を高めて、犯罪「行為」を摘発するのが本来の課題のはずだ。一度、悪法ができてしまうとどんな風に使われるかは、治安維持法をみれば明らかだ。
 わたしは共謀罪にはもちろん反対だ。新聞各紙も社説などでは反対を打ち出しているが、読売新聞など一部の大手紙の論調には疑問を持っている。適用対象を犯罪集団に限定するなど必要な修正を加えた上で、テロ対策の国際協調のためにも早期に国会を通せという主張だが、問われているのは「人間の内心」を取り締まりと処罰の対象にしていいのか、という点のはずだ。読売の主張は危険だと思う。「犯罪集団」というレッテルさえ貼れば、だれにだって共謀罪は適用されることになる。

 共謀罪の説明はここが詳しい。
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by news-worker | 2005-10-22 22:51 | 平和・憲法  

小泉首相の靖国参拝

 いろいろ書きたいのだが、時間がままならない。その中でも小泉首相の靖国参拝に、これだけは言っておきたい、ということを書いておこうと思う。
 まず、中国や韓国の抗議表明を「内政干渉だ」と言っていることについて。冗談ではない。「内政干渉」とは、国論が一致していることが前提だ。一国の国論が一致しているテーマに対して、外国が干渉してくることを言う。あるいは百歩譲るとして、国内で解決すべきテーマに対して、外国が干渉してくることだ。小泉首相の靖国参拝は、国論を二分している。司法判断も分かれている。しかも、その対立点を解消しようとする努力を首相自らが放棄している。「どうして憲法違反か自分には理解できない」と言ってはばからず、対立意見に耳を傾ける姿勢を放棄している。「近隣諸国に抗議されるからと言って、参拝を止めるわけにはいかない」というのは、小泉首相一流の論点のすり替えでしかない。
 世論の賛否が割れていることを、どう考えているのか。小泉首相は何も語っていない。首相の靖国参拝に反対の民意は、中国や韓国から抗議を受けるから参拝すべきではない、というだけではない。60年前に日本の敗戦で終わった戦争を、日本と日本人が主体的にどう考えるかが問われている。仮に、戦没者に哀悼の意を捧げるのであれば、同様に戦争の犠牲になった軍人・軍属以外の市民、日本軍に殺された沖縄の市民、そして日本軍の銃剣と軍靴に蹂躙され、犠牲になった近隣諸国の人々に、小泉首相はどんな哀悼の意を捧げるというのか。何も語っていないも同然ではないか。何も行動で示していないではないか。それだけの意識でしかないのに、「未来志向の外交関係」など構築できるわけがない。
 次に、「個人として戦没者に哀悼の意を表しているだけで、総理の職務ではない。憲法は信仰の自由を保障している」と言っていることについて。これはもう、怒りを通り越してあきれてしまう。靖国参拝、しかも8月15日に参拝するというのは、4年前の自民党総裁選の公約だった。自民党総裁になるということは、総理になることと同義だった。本当に、総理総裁の立場を離れて純粋に一個人として参拝しているつもりなのだとしたら、あの公約は何だったのか。総理総裁になりたいがための方便だったのか。だれも重視していなかった「郵政民営化」を自らの「公約」と強弁して、だれも望まなかった衆院解散まで断行した人間とは思えないご都合主義ではないか。総理総裁として参拝するからこそ、「小泉純一郎」が参拝する意味があるはずだ。紋付はかまやモーニングから平服に変え、本殿に上がらなかったとしても、その意味付けには何ら変わりがない。その意味付けは小泉首相自身の責任のはずだ。
 今回の参拝に対するメディアの論評は甘いと思う。政治家であるなら、自ら発した言葉には無限の責任が伴うはずだ。それを追及するのがジャーナリズムの責務だ。
 今回の参拝と、参拝後の小泉首相の言動に、わたしは本当に怒っている。


 追記

 昨日の昼間、仕事の片手間に聞いていた国会中継の記憶を元に、小泉首相が「憲法は信仰の自由を保障している」と主張していると書いたが、今朝の新聞で確認したら「憲法は思想、良心の自由を保障している」が正しかった。訂正します。
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by news-worker | 2005-10-19 23:54 | 平和・憲法  

マスコミ4単産就職フォーラム

 以前にも少し紹介したが、新聞労連と出版労連、全印総連(印刷)、広告労協のマスコミ関連4団体が、これから就職活動を迎える大学生らを対象に11月27日(日)に共催する「就職フォーラム」の概要が固まってきた。既に申し込みの受け付けも始まっている。新聞労連のHPにも応募要領を掲載しているので、興味のある方は参照を。参加費は1500円。
 フォーラムの趣旨は、マスコミ関連産業の職場と仕事の具体的なイメージをつかんでもらうことにある。仕事選びの上でのミスマッチを防ぐために役に立てれば、ということだ。そのためには、華やかさばかりではなく、新聞記者で言えば長時間労働の実態や、既存メディアが記者クラブをはじめ厳しい批判を浴びていることなども知ってほしい。その上で、なお飛び込んでみたいと思う若い意欲的な人材がわたしたちの仲間になってくれるなら、新聞の将来にも少しは明るい見通しを持てることができるのではないかと思う。
 2月には新聞労連単独で「新聞産業就職フォーラム」を開催する予定だ。昨年度は、参加者の中から何人か大手メディアへの内定者も出た。みな、来春の就職を前に、それぞれが自分の目標を見つけようと生き生きと今の時間を過ごしている。11月のフォーラムでは、彼らからも後輩へ激励の言葉を語ってもらう予定だ。
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by news-worker | 2005-10-18 18:43 | 新聞業界への就職  

放送の公共性

 楽天のTBS株取得、経営統合提案が話題になる中で、メディアのこの問題の報道ぶりに違和感を抱いている。そもそも電波の所有者はだれか。国民の共有財産のはずだ。企業としての放送局は、その使用権を独占的に認められているに過ぎない。企業買収劇である前に、電波の公共性の視点からの報道が必要なはずだ。フジテレビVSホリエモンのときにも、そうした指摘はあったけれども、今さらメディアの側が放送メディアの「公共性」を持ち出しても世間をしらけさせてしまうとの自虐的な自覚でもあるのだろうか。今回の楽天、TBSの報道でも、切り口は相も変わらずのようだ。
 もともと放送は公共事業として始まった。NHKに限らず、これは世界共通だ。完全な自由競争、競争原理の元にさらしてしまえば、放送の質の低下を招きかねないからだ。日本の民間放送も、放送法その他で規制を受けている。そのこと自体、情報統制の恐れなど両刃の刃ではあるが、一定のニュース・報道枠が義務付けられるなど、最低限の公共性は担保されている。青臭い視点かもしれないが、既存メディアの公共性が問われている今だからこそ、「公共性」は必要な議論ではないか。
 メディア研究の桂敬一・立正大教授が、憤りに満ちた一文を公表している。日本ジャーナリスト会議(JCJ)のホームページの「メディア・トピックス」に掲載されている。
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by news-worker | 2005-10-18 00:42 | メディア  

権利としての労働組合

 尼崎から戻ってすぐに、11日は新聞労連の中央執行委員会、12-13日は中央委員会と会議漬けだった。
 新聞労連の中央執行委員は、北海道や東北、関東など地域ブロック組織である地連からの選出と、朝日、毎日、読売、日経の大手組合は組合単独からの選出の2種類からなり計21人。実際の会議となると、本部3役と呼ばれる委員長、副委員長、書記長のほか会計幹事2人や主要専門部のメンバーら、場合によっては各地連の委員長も加わって40人くらいの規模になる。中央委員は労連加盟の84組合のすべてから最低1人は選出。中央委員会の上には、全組合の代議員からなる「大会」があり、労連の最高の意思決定機関となる。中央執行委員会と中央委員会、大会の関係は、内閣と議会のそれだが、組合の執行部でも経験しないと、イメージを持ちにくいかもしれない。
 大会は毎年7月に新執行部と年間の運動方針を決める「定期大会」、1月下旬ないし2月上旬に春闘方針を決める「臨時大会」が開かれる。その合間に春と秋の2回、中央委員会が開かれ、春は春闘総括と夏の一時金(ボーナス)要求など夏闘方針がテーマ、秋は冬の一時金要求など秋年末闘争方針がテーマになる。この4回の大会、中央委員会が新聞労連の基幹会議となり、年間活動の基本サイクルだ。
こうしたことは、どの産業でも労働組合なら基本的に同じ。「闘争」や「たたかい」といった用語が並び、「団結ガンバロー」と拳を振り上げるスタイルは、旧態依然と言ってしまえばその通りだ。

 新聞労連の今回の中央委員会では、わたしは運動方針としても日常の取り組みとしても、「権利」の視点を基軸に据えようと訴えた。既得権益を守れ、という意味ではない。労働組合それ自体が、弱いものが団結し、交渉し、行動する権利である、という意味での権利であることを自覚しようということだ。
 印刷部門の別会社化という合理化では、前にも書いた(「譲れない一線がある」、「続譲れない一線」)下野新聞では、全下野労組の反対を押し切り、会社が来春の退職者の補充として、別会社の賃金を適用した高卒者の採用募集を強行しようとしている。労使が交渉している中での既成事実づくりであって、合理化案件は労使対等の事前交渉を経て決定されるという労使協定をないがしろにしている。これを許せば、労働組合は存在意義がなくなる。昨年、プロ野球選手会がこだわり、ストを決行したのもこの点にあった、つまり労使対等でプロ野球のあり方を話しあいたい、という点にあったとわたしは考えている。
 この労働組合という権利それ自体を手にできていない人たちが、社会には大勢いる。そうした人たちが無権利状態のままに置かれ続けるならば、既存の労働組合はまさに「特権」となり、「既得権益にしがみつく抵抗勢力」ということになる。実際に、9月の衆院選では労働組合はそう批判された。
 権利が権利として輝くためには、その権利が正しく行使されていなければならない。今は無権利状態の人たちが、どうやって労働組合という権利を手にできるか。組合を作ろうとしただけで解雇されてしまう例を、わたしも知っている。既存の労働組合がその手助けをしていかなければならない。わたしたちの抵抗が、正当な権利の行使とみなされるかどうかは、そうした運動を本気で進めるかどうかにもかかっている。

 全下野労組の別会社・転籍反対の取り組みの近況を少し紹介すると、労組は県議会や地元財界、地方自治体などへも会社の計画の無謀さを訴え、支持を要請している。組織の内側に閉じこもるのではなく、自分たちの労働条件の問題であるとともに、地方紙が担う地域の言論機関としての社会的責任を自覚し、やみくもな合理化が新聞に何をもたらすかを問おうと、労働組合が積極的に地域社会に出て行っている。スタイルは旧態依然かもしれないが、全下野労組の取り組みに地域の理解が得られつつあるとの実感を持っている。

 中央委員会ではこのほか、衆院選の結果を受けて改憲手続きの前倒しが始まっている、との情勢認識を示し、共謀罪の3度目の国会提出があっさりと決まったことなど、「言論・表現の自由」「知る権利」の危機的状況もより深刻になっていることを訴えた。執行部として特別決議を用意し、採択された。
 共謀罪をめぐっては、13日夜、日弁連主催の緊急市民集会に出席し、わたしも発言した。あらためて書きたいが、状況は相当に厳しい。
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by news-worker | 2005-10-14 10:58 | 労働組合