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放送の「市場開放」「『公共性』の放棄」を始めるつもりか

 7日の新聞各紙朝刊が一斉に伝えたが、竹中平蔵総務相が6日の記者会見で、放送・通信の融合推進を検討する総務相直轄の有識者懇談会を月内に発足させると表明した。主な標的はNHK。政府の経済財政諮問会議でもNHK〝改革〟が議論されているという。経済ニュースには明るい方ではないのだが、郵政民営化に代表される小泉政権の「改革路線」が、放送メディアにも本格的に向けられ始めた、ということだと思う。
 東京新聞経済面に「反対封じへ〝竹中演出〟」の見出しを取って掲載されたサイド記事(ネット上では見当たらなかった)によると、記者会見で竹中総務相はさまざまなことを話したようだ。いわく「なぜNHKでこんなに不祥事が続くのか」「なぜ、インターネットでテレビの生放送が見られないのか」「なぜ、タイム・ワーナーみたいな大企業が日本にはないのか」「海外に行くと米CNNや英BBC放送のように外国に情報発信している国があるのに、日本はほとんど見られない」。東京新聞記者はその様子を「予想される激しい『抵抗』を乗り切るには、『素朴な疑問』に訴え、国民の支持を取り付けるのが早道と心得ているようだ」と評している。有識者懇談会の設置も、事前に総務省の事務方はいっさい知らされていなかったという。
 確かに放送局と電波行政を握る総務省のもたれ合いの構図はあるし、放送と通信の融合を図ろうとする側から見れば、フジテレビVSライブドア、TBS対楽天問題の経緯からも明らかなように、既存の放送局はまさに「抵抗勢力」ということになる。しかし、それにしても竹中総務相の発言は、本来次元の異なる話をまぜこぜにして、一般社会への「分かりやすさ」の演出効果だけを狙っているとしか思えない。乱暴にすぎる。
 

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by news-worker | 2005-12-08 01:12 | メディア  

はや春闘準備

 各労働組合では、年末一時金などの秋年末闘争が終わったばかりだが、産別組合の本部では、早くも06年春闘の準備が本格化している。新聞労連でも、加盟組合の書記長や賃金対策の責任者に参加してもらう春闘討論集会を来週13-14日に行う。目下、その場に提案する春闘方針案の原案作りに追われている。
 個人的には、06春闘での労働組合の課題は「格差拡大社会にどう歯止めをかけるか」ではないかと考えている。「勝ち組」「負け組」が流行語として定着したご時勢。労働組合は権益にしがみつくのではなく、働く者の権利の拡大を通じて、格差の広がりに歯止めをかけなければならない。賃上げ、ベアを勝ち取ることはもちろん重要だが、その交渉主体である「労働組合」という権利を、どう未組織の労働者に広げていくかもまた既存の労働組合に問われている。そのことを春闘方針案にどういう表現で盛り込んでいくか、目下格闘中だ。
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by news-worker | 2005-12-06 23:56 | 身辺雑事  

鎌田慧さんの講演から~全下野新聞労組争議

 少し間があいてしまったが、11月28日に宇都宮市で新聞労連と全下野新聞労働組合が共催した市民集会・シンポジウムについて報告したい。
 そもそもは下野新聞社の経営側がことし5月、印刷部門の別会社化と、当該職場の社員に対し別会社への転籍を求める提案を労組に示したのが発端。労組が計画の白紙撤回を求めているにもかかわらず、会社側が印刷新会社のプロパー社員採用手続きを強行するに及んで、組合は11月8日、宇都宮地裁に別会社化計画の差し止めなどを求めて仮処分を申請し、争議入りした。
 11月28日のシンポは、この闘争・争議の意義を広く栃木県民・読者にも知ってもらい地方紙のあり方をともに考えたい、との発想で企画した。
 基調講演をお願いしたのは、自ら労働現場に身を置いた数々の力作を世に問うてきたルポライターの鎌田慧さん。「地方紙の研究」という著書もある。内容の濃い1時間の講演だったが、何点か印象に残った点を紹介する(テープ起こしではなく、わたしの手元のメモからなので、あくまでも鎌田さんのお話の要旨であることを了解いただきたい)。

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by news-worker | 2005-12-06 02:20 | 全下野新聞労組の闘争  

被害女児の実名は1回でいい

 広島の事件に続き、痛ましい事件の連続というほかないが、栃木県で行方不明になっていた小学校1年生の女児が、2日に茨城県内で他殺体で見つかった。その報道で、朝日新聞と東京新聞の記事の書き方に、従来からの顕著な変化がみられる。それは、一面のいわゆる「本記」記事、社会面のいわゆる「雑観」「サイド」記事ともに、被害者女児の実名は初出だけで、以後は単に「女児」と表記していることだ。
 共同通信の配信記事かどうかは紙面では分かりにくいのだが、共同通信も同様の表記を続けており、東京新聞は共同通信の配信記事との整合上、こうした措置をとっているのかもしれない。
*東京新聞の記事の例

 栃木県今市市立大沢小一年の吉田有希ちゃん(7つ)が下校途中に行方不明となり、茨城県常陸大宮市の山林で他殺体で見つかった事件で、栃木、茨城両県警の合同捜査本部が三日、司法解剖した結果、女児の死因は鋭利な刃物で心臓を刺されたことによる失血死と分かった。
 調べでは、女児は胸だけを数カ所深く刺されており、ほぼ即死状態だった。胸以外に目立つ外傷はなかった。凶器は刃幅がかなり狭く、アイスピックに近い鋭利な刃物だったことも判明。死亡推定時刻は女児が行方不明になった一日午後から二日午前九時ごろとみられる。
 また、女児の遺体が見つかった茨城県の現場の林道に、車が脱輪した跡や道路脇の樹木に接触した形跡もないことが三日の現場検証で判明した。
 林道は軽自動車がやっと通れる道幅しかなく、街灯もない。このため、同本部は、遺体が日中に遺棄された可能性が高いとみている。
 捜査本部は三日朝から計三百人態勢で二つの現場周辺での聞き込みと遺留品の捜索を行ったが、女児の所持品などは見つからなかった。
(引用終わり)

 ネットで見る限り、読売新聞、毎日新聞は記事中でその都度、女児の実名を記している。そうした中での朝日、共同、東京の書きぶりは、際立っている。恐らくは、被害者の人権に配慮しての記事の書き方だ。こうした書き方に違和感があるかどうか、読者の受け止め方はどうだろうか。初出で実名を記しているのだから、同じ記事中で再び表記するときに匿名にすることに何ほどの意味があるのか、という批判もあるかもしれない。
 それでもわたしは、今回の朝日や共同、東京の試みを是としたい。犯罪被害者の権利擁護のために、何もしないよりはいいからだ。
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by news-worker | 2005-12-04 09:30 | メディア  

「悪魔」と「ねずみ人間」、ペルー人容疑者と宮崎勤被告

 広島の女児殺害事件は、ペルー人容疑者が1日に接見した弁護士に対し犯行を認めた。2日の朝刊各紙も大きく報道している。わたしは前回のエントリーで、「『警察はこういう見方をしている』ということを情報として報じるのもいい。しかし、そのことと容疑者が本当に犯人かどうかは、別の問題のはずだ」と書いた。容疑者が話した内容が警察からではなく、弁護士を通じて明らかになったのは、情報のクロスチェックの意味では評価できると思う。しかし、依然、容疑者には「無罪推定の原則」が考慮されるべきだ。
 彼が弁護士に話した内容は、朝日新聞(東京本社発行14版)の社会面に囲み記事で詳しく出ている。気になるのは「次の瞬間、何が起こったのか分からない。悪魔が自分の中に入ってきて体を動かした。気がついたら女の子が横たわっていた。まぶたを閉じていたので、死んだと思った。神に祈ったが、悪魔が去らなかった」と、殺害の実行行為は「分からない」としている点だ。女児に声を掛けたときの様子や、その後、遺体をダンボールに詰めたことなどは具体的なのに、だ。
 「悪魔」は宗教上の信仰にかかわりがある比喩的表現なのか、あるいは具体的に彼が経験した(と彼が思っている)事象なのか。弁護士は取材に対して、精神鑑定の必要性も検討する趣旨の発言をしたようだ。今後の推移によっては、仮に殺害の実行行為が確定しても、責任能力の問題が浮上する可能性が出ているということに留意したい。心身喪失の状態、善悪を判断する能力を欠いた状態なら、無罪になる。しかも、彼は日本語が不自由だ。メディアが慎重に、多角的に、捜査・取り調べ情報を集める必要があることには変わりがないと思う。

 「悪魔」で思い出すことがある。昭和から平成の変わり目にかけて埼玉県と東京都で4人の幼女が誘拐、殺害された事件だ。「おたく」という言葉が一躍、脚光を浴び「有害ビデオ」の排除を大義名分に表現規制まで招いた事件。わたしは当時、埼玉県警の担当記者で、文字通り、一連の事件発生地の埼玉県西部を駆けずり回っていた。
 この事件で起訴された宮崎勤被告とは、その後、東京地裁の審理を司法担当記者として取材するめぐり合わせとなった。被告人質問で彼は、幼女の1人の殺害について「ねずみ人間」と口にした。記憶だけなので確かなことは言えないが、「ねずみ人間が出てきて怖かった。気が付いたら幼女が倒れていた」と法廷で話した。彼が口にした「ねずみ人間」という言葉は鮮明に覚えている。
 「悪魔」を「ねずみ人間」に置き換えたら、今回の広島の容疑者とそっくりではないか。その宮崎被告をめぐっては、公判段階の精神鑑定で3通りの結果が出た。11月22日に最高裁で弁論があり、来春にも判断が示されそうだ。最高裁弁論のときの産経新聞の記事が、精神鑑定も詳しい。
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by news-worker | 2005-12-02 11:13 | メディア  

ペルー人容疑者報道に違和感

 広島の女児殺害事件が11月30日のペルー人容疑者逮捕で新局面を迎えている。30日付夕刊に続いて、きょう(12月1日)付の朝刊各紙も紙面で大展開。社会部の職場を離れ、新聞を外側から見るようになって1年4カ月が経ったが、今回の新聞各紙の報道ぶりに正直に言って大きな違和感ととまどいを感じている。
 ネットでチェックしたところでは、けさの朝刊で毎日が「女児の衣類に汗とともに付着していた皮膚組織のDNAが、容疑者のものと一致した」と報じている。読売は「女児の制服についた汗の乾いた跡などのDNA型が一致」と報じている。両紙とも、記事の趣旨はこの「DNA鑑定」結果を決め手として、広島県警が容疑者逮捕に踏み切ったというものだ。それはそれでいいと思う。わたしが取材班に加わっていたとしても、そのこと自体は大きなニュースだと判断すると思う。
 違和感を感じるのはその先なのだが、例えば毎日の同じ記事中には「また、遺体が押し込まれていたガスコンロ用の段ボール箱の中に、粒状チョコレートの包み紙があったが、容疑者の自宅から同じ種類のチョコの外装が見つかった。遺体を押し込む際に、室内にあったチョコの包み紙が段ボール箱に入った可能性があり、有力な物証とみられる」と、「容疑者=犯人」とした書き方をしている。この「容疑者=犯人」の論調は、程度の差はあれ30日夕刊段階から新聞各紙の記事に表れている。30日早朝のネット上のサイトに載っていた記事では「容疑者逮捕で事件は解決した」という表現すらあった。
 警察が容疑者(警察用語では「被疑者」)を犯人視するのは、ある意味では当然だ。「犯人ではないかもしれませんが、怪しいので逮捕しました」では許されないことを彼らはよく知っている。彼らは「こいつは犯人だ」と本当に確信しているから逮捕する。しかし、新聞は違うはずだし、これまでも事件報道の在り方が議論になるたびに、各紙は紙面でいわゆる「無罪推定の原則」を尊重することを表明してきている。しかし、やっぱり実際にやっていることとの間には、大きなかい離がある。違和感を感じざるをえない原因はそこにある。

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by news-worker | 2005-12-01 11:22 | メディア