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週末まで移動中

昨日18日から出張中。新聞労連の各地方ブロック組織が開催する春闘対策会議を回る。今日は松江から宇都宮に移動。明日は宇都宮から徳島に向かい、20日に帰京の予定。このブログの更新は週末までお休みします。
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by news-worker | 2006-01-19 15:08 | 身辺雑事  

宮崎勤被告死刑確定へ、に想うこと

 埼玉・東京の連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤被告に対し、最高裁が17日、上告棄却の判決を言い渡し、死刑が確定することになった。以前のエントリーでも触れたが、わたしは埼玉県警の担当記者だった20代後半の当時に、この事件と最初から最後まで付き合い、その後も東京地裁の公判を裁判担当記者として取材する巡り会わせを経験した。正直、最高裁判決には色々な思いが胸をよぎる。今回はそのうちの一部だけ。
 彼は1年弱の間に4人の女児を次々に殺害していったのだが、その手口は回を重ねるごとに、明らかにエスカレートしていっていた。彼の精神の内面が「異常」だったとすれば、犯行がエスカレートしていったというそのこと一つを取っても、彼の異常さそのものが当時から〝進化〟していたのだと思う。
 しかし、そのことと彼に刑事責任があるかどうか、つまり善悪の判断能力があるかどうかはまた別の問題だ。公判では特異な言動が目立ったが、少なくとも取材者としてのわたしはその後姿を見ていただけだ。東京地裁判決のとき、作家の佐木隆三さんが「彼の得意な言動を、正面から彼の目を見ながら聞いたのは裁判官だけ。その裁判官が『責任能力を問える』との心証を持ったのだから、自分は有罪判決を以外意外とは思わない」との趣旨のコメントをしたが、わたしも佐木さんの指摘に納得した記憶がある。きょう、最高裁の結論を聞いてもその思いは変わらない。
 最高裁判決を受けて、識者の意見が種々報道されている。「個人を裁くだけでなく、宮崎勤を生んだ社会を裁く裁判にすべきであった」との意見も多くみられるが、それは裁判官の仕事ではない。少なくとも裁判官たちはそうは考えなかったのだろう。わたしも1審の審理を取材していた当時は、裁判官が時代をどう裁くのか期待したこともあったが、1審判決でその期待は捨てた。今回も最高裁判決は十分に予測できる内容だった。宮崎勤という人間を生み出したのは何だったのか、それを見極めるのは、わたしたち一人ひとりでしかない。
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by news-worker | 2006-01-18 01:57 | 社会経済  

特捜部がホリエモン立件を狙うことの意味は?番外編

 一つ前のエントリーで「今回の強制捜査に働いた体制内力学をぜひ書いてほしい」と、ライブドア=ホリエモンへの東京地検特捜部の強制捜査をめぐる報道について書いていたら、stochinaiさんのブログ「5号館のつぶやき」(のコメント)経由で、こういう指摘があることを知った。真偽のほどは別として、筋は通っているし、読んで楽しめるのは間違いがない。
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by news-worker | 2006-01-18 01:22 | 社会経済  

特捜部がホリエモン立件を狙うことの意味は?

 16日のライブドア家宅捜索のニュースには正直、驚いた。証券取引法違反容疑の事件の場合は通常、証券取引等監視委員会がまず動き、その告発を得て東京地検特捜が強制捜査に乗り出すのがオーソドックスなやり方だ。今回はそうではなく、いきなり特捜部が同委員会と合同で電撃的に強制捜査に着手した。そのこと自体、特捜部がホリエモン立件に向けて〝やる気〟十分なことを示しているし、社会部記者たちの間で「前打ち」と呼んでいる事前報道がなかった、つまり特捜部でも証券監視委員会でも保秘が徹底されていたことからも、その本気さが伝わってくる。
 わたしは検察取材を通算で2年半ほど担当したことがある。また特捜部が手がけた数々の事件の公判も、裁判担当記者として取材した。その経験から言えば、特捜部は常にトップを狙う。ホリエモンの事情聴取は時間の問題だと思うし、容疑を否認すれば逮捕は必至だろう。
 気になるのは、小泉首相の構造改革路線の下で、竹中平蔵総務相が通信と放送の融合をぶち上げてから間もない時期の強制捜査の意味だ。自民党公認ではなかったものの、小泉路線と同調して昨年の衆院選に出馬までしたホリエモンは、今や立派に「体制」に認知された存在だと思っていた。
 ロッキード事件やリクルート事件、佐川急便事件や故金丸信自民党副総裁の巨額脱税事件などを手がけてきた東京地検特捜部は、体制内腐敗、なかでも政治腐敗を摘発できる史上最強の捜査機関の名声を欲しいままにし、「体制の守護神」として利権政治家や新興起業人から恐れられた。しかし、特捜部の独立不羈の姿勢も今は昔。鈴木宗男衆院議員の事件が典型かもしれないが、最近では政界や官界などの何がしかの思惑を背に負ったような「国策捜査」が目立っている。
 現政権の構造改革路線がメディアとインターネットの融合に舞台を移そうとしている中で、その華々しい旗手として認知されたはずのホリエモンが特捜部のターゲットになる。その背後に働いているのは、現政権の意向とは別の力学だろうか。やはり従来秩序を維持し新興勢力を排除しようとする体制内エスタブリッシュメントの意向なのだろうか。

追記(1月17日午前)
 17日の朝刊各紙も、紙面でこのニュースを大展開。朝日新聞総合面の「時時刻刻」の見出しは「錬金術に『落とし穴』」と、ライブドアの成長路線をマイナスイメージの用語で表現している。紙面はまだ見ていないが、他紙も大同小異であることは容易に察しがつく。特捜部の見立てを情報として発信するのは必要だが、そこで報道が終わらないように願う。少し時間を置いてからでもいいから、今回の強制捜査に働いた体制内力学をぜひ書いてほしい。
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by news-worker | 2006-01-17 02:07 | 社会経済  

「ニコンがフィルムカメラから撤退」に感慨

 ニコンがフィルムカメラから撤退し、デジカメに特化するとのニュースに接して感慨を抱く。
 わたしが記者になったのは1983年。当時、取材現場では写真は白黒フィルムで、新聞紙面もまだカラー印刷は珍しかった。記者職の新入社員の研修では、写真取材の時間が長かった。写真部のデスクが先生。生徒の方は、写真部採用のカメラマンは別として、ほとんどはカメラといえば「押せば写る」コンパクトカメラしか手にした事がない、というレベルだったと思う。なぜ写真は写るのか、といった原理の話からシャッタースピードと絞りの関係など、理屈を一通りレクチャーしてもらったら、あとはひたすら実技。会社の写真部はもっぱらニコン製品を使っていた。新人記者たちは一眼レフカメラを手に、まずは室内での模擬インタビュー写真。暗室でフィルムを現像してネガをつくり、印画紙に焼き付けてプリント。初めての経験だったが、とにかくおもしろかった。
 1カ月近い研修の終わりごろ、カメラを手に街に出た。お題は「きょうという日の一枚」だったと思う。霞が関の官庁街で桜が散る様子が「まるで吹雪のよう」と写真説明を付けて提出したら、それまで絶対に新人記者たちを褒めなかった写真部デスクから「なかなか筋がいい」と言われ、嬉しかったのを覚えている。
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 やがて配属先も決まり、そろそろ研修も終わりというころ、ニコンの営業担当者が会社に来て、そこで当時の最高モデル「F3」をローンで買った。「PROFESSIONAL」のロゴが入った黒と黄色のニコンのストラップが付いていて、晴れがましい思いがした。初任地の青森では、米軍三沢基地取材で戦闘機の写真を撮るために、高速で連続撮影ができるモータードライブを買った。
 支局では暗室も粗末で、現像液や定着液も支局員がパック詰めの粉末薬を自分で水に溶いてつくる。大体、新人記者の仕事だった。青森支局では、冬場は薬品の温度管理に気を使った。薬品をいじった後は、手に酸っぱいにおいが付いて「寿司を握ったみたいだ」と先輩たちと笑い合った。
 記憶をたぐってみるが、写真処理はまずフィルム現像に10分程度。ついでネガを乾かし、焼付けにやっぱり10分くらいはかかったと思う。定着液に付ける時間が短いと、出来上がった写真は黒ずんだ。印画紙を乾かして、電送機に装着するまでにやっぱり5分から10分くらいはかかったか。電送は5分くらいだった。電送機は回転ドラム型。ファクスと原理は同じと聞いていた。白黒写真の白と黒の濃淡を電気信号に換えて送ったらしい。
 支局には専門のカメラマンはいなかったから、急ぎの写真が必要な場合は記者2人で取材現場に行った。1人は写真に専念し、撮影が終わったら大急ぎで支局に戻り、手を酸っぱくしながら処理をした。
 あのころは、どこに行くにもバッグの中にはニコンF3と筆記用具と公衆電話からの連絡用の10円玉(いつも20枚くらいは持っていた)が入っていた。少し気取って言えば、F3のファインダーから「時代の現場」をのぞいていた。

 月日が経って、今は取材現場もデジカメに変わっている。写真もデータとしてパソコンから送信する。記者が持ち歩くのはデジカメにパソコン、携帯電話。確かに便利になったが、以前のように現場に記者2人で行って1人は写真に専念、などということはもう許されない。1人で話を聞いて記事にまとめ、1人で写真を撮ってパソコンから送らなければならない。写真を送っている間にもデスクから記事の問い合わせなど連絡が来るから、場合によっては携帯電話は2台必要。パソコンのバッテリーの予備や担当している分野の取材資料なんかも持ち歩く。わたしがデスクで勤務していた支局に配属された新人記者は、毎日ショルダーバッグを2つ下げて歩き回っていた。
 記者の装備が変わっていくのにつれて、支局1カ所あたりの配置記者の数も減らされた。つまり編集職場の合理化だ。そのことの問題点は、別の機会に書きたい。

 いつからか、わたしのカメラもF3からオートフォーカスのコンパクトカメラに変わり、今は手のひらに収まるくらいのデジカメに変わっている。晴れの日の記念写真はF3で撮ったりしていたが、今はそれもない。
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by news-worker | 2006-01-15 00:37 | 身辺雑事  

来月4日、新聞就職フォーラムを開催

 新聞産業への就職を考えている学生の方々へ、新聞労連からの宣伝が1件。新聞労連に出版労連、全印総連、広告労協のマスコミ4労組に民放労連の協力を得て行った「マスコミ産業就職フォーラム」のことは以前にも紹介したが、2月4日(土)に今度は新聞労連が単独で、「新聞業界就職フォーラム2007」を東京で開催する。
 3回目となる今年は①大手全国紙・通信社②ブロック紙、地方紙③スポーツ紙、専門紙-の3つのセッションを準備している。それぞれ現役の記者(労働組合の組合員)4-5人ずつに登壇してもらい、日々の働き方や仕事の魅力、やりがい、あるいは逆につらさも含めて率直に語ってもらおうと思っている。以前のエントリーでも書いたが、仕事選びのミスマッチ防止に役立ててもらいたいということと、厳しさもつらさも分かった上で、それでも新聞で働きたいという意欲にあふれた仲間を職場に迎えたいということが、フォーラムの主な趣旨だ。
 昨年のフォーラム参加者からは、この春に新聞社やNHKに入社する内定者も出ている。彼らからも、後輩たちにメッセージを発してもらおうと思う。

 詳細は新聞労連のサイト内のページhttp://www.shinbunroren.or.jp/forum/(新聞労連ホームページのトップからはアクセスできない)へ行き、そこの「07年度卒学生向け就職フォーラムin東京を開催します」をクリックすると開催要項が出てくる。参加登録もこのページからインターネットで可。参加費1000円(資料代など)、定員120人に達し次第、締め切りとなる。
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by news-worker | 2006-01-14 00:51 | 新聞業界への就職  

山形名産 吊るしビーフ

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 山形といえば米沢牛や芋煮、板そばなどおいしいものが沢山ある。しかし、今回の出張ではいずれも味わう余裕がなく残念。特にそばは、東京都内・虎ノ門にある山形県産品のアンテナショップで食べてびっくりするほどおいしかったので、何としても現地で食べてみたかったのだが。代わりに、というわけでもないが、新幹線に乗る前に駅の売店で「ビーフジャーキー」を買ってみた。見たところは何の変哲もないビーフジャーキーだが、パッケージの裏側には「山形名産 吊るしビーフ」の表示。よく分からないが、吊るし干しにしたジャーキー? 肉の原産地は書いてないから、多分、米沢牛でないことは間違いない。輸入牛肉かもしれないが、味の方は米国産にありがちなギトギトさがなく和風のあっさりめ。帰宅して日本酒の冷やといっしょに食べたが、おいしかった。
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by news-worker | 2006-01-13 20:38 | 食日記  

山形県平和センターで講演

 12日は山形市に出張。新聞労連行事ではなく、地元の労働組合を中心につくる「山形県平和センター」の学習会に招かれ、講演した。新聞労連と同センターは直接の交流はなかったのだが、講師選定の際に新聞労連ホームページを見て、わたしが候補に挙がったとのこと。本当に光栄に思う。事務局の担当の方はこのブログのこともご存知で、初対面のあいさつで「読んでます」と言われたときには少々赤面した。
 講演のタイトルは「監視・統制社会と『言論・表現の自由』『知る権利』」とした。新聞労連が昨年、戦後60年を機に制作発行した「しんけん平和新聞」を紹介しながら、「戦争で最初に犠牲になるのは真実」との言葉通り、60年前(年が明けたので61年前となるが)に日本の敗戦で終わった戦争を通じて、新聞は国民に戦争の実相を伝えず、戦意を鼓舞して戦場に駆り立てる役割を担っていたこと、戦争をする国家・社会は民主主義とは絶対に相容れないことは現代でも変わらず、それは例えばイラク戦争でも、開戦の最大の大義であったサダム・フセイン政権の大量破壊兵器保有疑惑が根拠のない虚報であったことにも表れていること(まさに「真実」が犠牲になって始まった戦争だった)などをお話した。

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by news-worker | 2006-01-13 20:03 | 平和・憲法  

「創」2月号が全下野労組の闘争をレポート

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 栃木県の地方紙「下野新聞」の全下野新聞労働組合が、印刷部門別会社化と社員の転籍計画の白紙撤回を求めてたたかっている闘争が、月刊誌「創(つくる)」2月号で2ページにわたって取り上げられている。事実経過やこれまでの団交での会社側発言、組合側の主張などを正確に紹介。昨年11月28日に鎌田慧さんを招いて宇都宮市で開催した市民集会の写真もあり、わたしもちょこっと写っている。
 記事の詳細は同誌を買い求めていただきたいが、記事の最後に、合理化計画を押し進めようとしている2人の専務が組合の初代委員長と3代委員長だったことから、映画「スター・ウォーズ」になぞらえて、暗黒面に落ちてダース・ベイダーになったアナキン・スカイウォーカーに2人の専務を例える同労組組合員の言葉が紹介されている。記事は「映画ではアナキンの子らがダース・ベイダーらを倒すわけだが、栃木の闘いの行方はまだ見えない」と結んでいるが、映画通りの結末しかない。ダース・ベイダーが改心する結末でもいい。
 全下野労組が申し立てた計画差し止めの仮処分をめぐる法廷闘争は、宇都宮地裁の判断が今月中に示される見通しだが、もとより同労組は「決戦場は団交の場」と位置づけている。いかなる司法判断が示されようとも、会社に計画の白紙撤回を決断させるまで、この闘争は終わらないだろうし、わたしも新聞労連も最後まで全下野労組の皆さんと闘い抜くつもりだ。

 全下野労組の闘争をめぐるエントリーも増えてきたので、「全下野新聞労組の闘争」カテゴリーを独立させた。初めてご覧になる方は、過去のエントリーも参照していただけるとありがたい。
 全下野労組もHPブログ「闘争日記!」でリアルタイムで情報発信している。
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by news-worker | 2006-01-12 00:15 | 全下野新聞労組の闘争  

東京新聞特集記事「ネット時代の『報道協定』」

 東京新聞の11日付朝刊に特報面見開きで「ネット時代の『報道協定』」の記事が掲載されている。わたしの前回のエントリーを読んだ同紙の取材班から取材があり、わたしのコメントもチラッと紹介されている。
 記事ではネット社会の犯罪に詳しい紀藤正樹弁護士、中京大学の飯室勝彦教授(ジャーナリズム論)のコメントが紹介されている。一部だが、紹介すると「ネット情報は無責任な情報も多く、あれこれと憶測しても意味がない」(飯室教授)、「ブログを知らない世代ほど過剰反応するきらいがあるが、あくまでも情報の一つにすぎないととらえるべきだ」(紀藤弁護士)とある。言ってみれば「2チャンネル=便所の落書き論」だろう。しかし、ブロガーのネットワークが大きな情報発信力を持ちつつある中で、いつまでも既存マスメディアが情報発信を止めれば社会にそれが届かない、つまり誘拐事件で言えば現行の報道協定が効力を発揮し続けることができることにはならないと思う。
 仙台の事件では、このブログにも「続報が止まったのでおかしいと思い、エントリーは控えた」というブロガーおかにゃんさんからTBをいただいた。逆に、ブログで、憶測であれ報道協定締結を取り上げた例がどれくらいあったのか分からないけれども、東京新聞の記事にもある通り、自分のブログという「定住所」を持つブロガーと、まったくの匿名で掲示板に書き込みをするネットユーザーとは、おのずとスタンスが異なっているのかもしれない。
 しかし、それでも、特に既存のマスメディアの側が押さえておかなければならないことがあると思う。報道協定は社会の大方の理解を得ているとわたしも思うけれども、その仕組みは記者クラブ制度の枠組みに乗っかっている、ということだ。その記者クラブ制度に大きな批判があるのもまた事実だ。報道協定はまさに記者クラブの「情報独占」の一形態でもある。そういった記者クラブ制度そのものが抱える矛盾を一つひとつ、既存マスメディアが解決していく努力をしていかないといけない。まず既存マスメディアの信頼再構築の努力がないと、報道協定の「人命尊重」の精神をネットユーザーにもあまねく共有してもらうことは難しいと思う。
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by news-worker | 2006-01-11 09:36 | メディア