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JR事故から半年

 きのう4月25日は、兵庫県尼崎市のJR西日本脱線事故から半年だった。この事故の報道をテーマに開催した新聞労連の記者研修会を紹介したエントリーに、事故列車に乗り合わせていた方からTBをいただいたのを機に、ネット上で「事故から半年」への様々な方の様々な思いを読んだ。
 わたしなりの思いを整理すると、報道にたずさわる者としての思いは、メディアは事故の原因と背景を粘り強く取材を続けなければならない、ということに尽きる。憶測混じりの報道はもういい。事実として何があったのか、だ。脱線のメカニズムはもちろん、何が事故を生んだのか。事故の原因と背景が解明されることによって、安全対策も進む。犠牲者の遺族や負傷者が負った心の傷に対してJR西日本ができるのは、事故を教訓とし、安全重視の経営を本当に確立することしかない。その監視を続けるのもメディアの責務のひとつだ。
 労働組合にたずさわっている立場からの思いもある。旧国鉄時代から、JRの歴史は分断労務政策の歴史と言える。経営方針に協調する、あるいは迎合する労組の組合員は優遇し、経営に批判的な労組は差別する。そんなことをやっていれば、労組の経営監視機能はなくなる。だれだって、職場に面倒なもめごとは起こしたくない。「おかしい」と思っても、言葉をのみこんでしまう。昇進や昇給に響くとなったら、なおさらだ。でも、だれもが「おかしい」と思うことをだれも言わなかったら職場はどうなるか。働く者の一人ひとりが、労働組合の存在意義を考えなければならない。
 最後に、生活者としての思いだ。7月に国労のシンポジウムに出席して発言したことでもあるが、スピード優先のJR西日本の経営方針は、社会が望んでいたことでもある。「スピード」は社会的な価値になっていた。「速ければ速いほどいい」ということだ。そこに「安全」の落とし穴があった。4月の事故で、多くの人がそこに気付いた。
 9月の衆院選では「改革」がキーワードになった。しかし、このまま「改革」が進んだら社会はどうなるか。小泉首相が「改革」と呼んだものの実体は、すべてを市場の競争原理に委ね、「強い者はより強く、弱い者はさらに弱く」の新自由主義だ。国鉄の分割民営化はその先行事例にほかならない。4月の事故を社会全体の教訓にしていくためには、今からでも遅くはない、「改革」を疑わなければならない。

追記・訂正
 書き出しで「きのう4月25日は」などと書いてしまった。「10月25日は」と訂正します。

by news-worker | 2005-10-27 10:39 | 社会経済  

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