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放送の「市場開放」「『公共性』の放棄」を始めるつもりか

 7日の新聞各紙朝刊が一斉に伝えたが、竹中平蔵総務相が6日の記者会見で、放送・通信の融合推進を検討する総務相直轄の有識者懇談会を月内に発足させると表明した。主な標的はNHK。政府の経済財政諮問会議でもNHK〝改革〟が議論されているという。経済ニュースには明るい方ではないのだが、郵政民営化に代表される小泉政権の「改革路線」が、放送メディアにも本格的に向けられ始めた、ということだと思う。
 東京新聞経済面に「反対封じへ〝竹中演出〟」の見出しを取って掲載されたサイド記事(ネット上では見当たらなかった)によると、記者会見で竹中総務相はさまざまなことを話したようだ。いわく「なぜNHKでこんなに不祥事が続くのか」「なぜ、インターネットでテレビの生放送が見られないのか」「なぜ、タイム・ワーナーみたいな大企業が日本にはないのか」「海外に行くと米CNNや英BBC放送のように外国に情報発信している国があるのに、日本はほとんど見られない」。東京新聞記者はその様子を「予想される激しい『抵抗』を乗り切るには、『素朴な疑問』に訴え、国民の支持を取り付けるのが早道と心得ているようだ」と評している。有識者懇談会の設置も、事前に総務省の事務方はいっさい知らされていなかったという。
 確かに放送局と電波行政を握る総務省のもたれ合いの構図はあるし、放送と通信の融合を図ろうとする側から見れば、フジテレビVSライブドア、TBS対楽天問題の経緯からも明らかなように、既存の放送局はまさに「抵抗勢力」ということになる。しかし、それにしても竹中総務相の発言は、本来次元の異なる話をまぜこぜにして、一般社会への「分かりやすさ」の演出効果だけを狙っているとしか思えない。乱暴にすぎる。
 





 放送と通信の融合を論じるときに忘れてはならないのは、電波は国民の共有財産であるという点だ。その共有財産の排他的、独占的使用を放送局は免許制によって得ている。だから、民放も営利企業ではあるけれども、利潤追求だけではいけないのであって、公共の利益に奉仕していなければいけない。電波法、放送法などで規制を設け「公正中立」であることを義務付けているのは、そうした意味からだ。今の放送メディアのあり方に問題があるとすれば、まさにその「公共性」が揺らいでいる点だ。
 NHKになると、もっと問題はシンプルだ。放送事業を商業ベースに委ねてしまうと、必ず公共性がおかしくなる。だから商業主義とは無縁の公共放送として存在が認められてきたのがNHKだ。
 竹中総務相の発言は、放送の「公共性」の問題を「市場の閉鎖性」と巧みにすり替えようとしているとしか読めない。本音は「通信事業との融合」という形での放送の「市場開放」であり、「公共性」の放棄ではないのか。
 NHKで不祥事がなぜ続くのか。それはNHKの経営のやり方の問題であって、公共放送というスタイルそのものに原因があるのではない。タイム・ワーナーに代表される多国籍・巨大総合メディア企業(メディア・ジャイアンツと呼ばれることもある)が一体何をやっているか。とりわけ途上国で、どれだけの権利侵害を引き起こしていることか。進出先の地域での知的財産権(隣接件を含む)の侵害、地元採用労働者の差別的な労働条件など、ILO(国際労働機関)などでの議論を少しでも知っていれば、こんな発言はできないはずだ。CNNやBBCを持ち出すに至っては、日本の英語教育の貧困さこそをまず考えるのが行政府の責任ではないのか。
 放送メディア側が、これまで自らの「公共性」をおろそかにしてきたことの報いだと言えばそれまでだが、国民の共有財産である電波を商業主義に全面的に委ねてしまっていいはずがない。ジャーナリズムの一角を担っている放送メディアに向けられはじめた「ポピュリズム」が何を意味し、その先に何をもたらすか、まずメディアの側がきちんと考えなければならない。

追記(12月8日午前1時25分)

 酔って帰宅した後、あまりに腹が立った勢いもあって、ろくに原資料にもあたらず書いたところもある。放送法や電波法に触れているところなど、間違っていたら訂正します。

by news-worker | 2005-12-08 01:12 | メディア  

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